人魚さんたちが反撃のチャンスをつかむと、るちあさんが「いくわよ」みたいなことをいう。大体そういう場面では
Πάμε κορίτσια! (パーメ・コリーツィア)
と呼びかける。パーメは「私たちは行く」あるいは「さあ行きましょう」コリーツィアは「お嬢さんたち」という意味で、「みんな、いくわよ。」というようなことになる。
この「コリーツィア」κορίτσιαみたいな呼びかけの表現はギリシャ語でとても特徴的なような気がする。κόρη(コーリ)は昔からある「娘」という単語で、コリーツィはお嬢さんというような単語ではあるのだが。だけど、このメンツのなかではるちあさんが殊更年上だということはない。文脈で呼びかけの性質に応じて、二人称の表現がいろいろ使い分けられるように思える。
教会の説教とか、多くの人の前で話すときに、相手に諭すように話すときとか注意を促すときなどに「ペディア」παιδιάという呼びかけがよく使われる。単語の意味からすると「子供たち」という意味で、たぶんギリシャ語のポピュラーソングとしては一番有名な「ピレウスの子供たち」(ペディア・トゥ・ピレア)のあのペディアなのだが、ペディアと呼びかけたから、必ず相手が子供とは限らないのです。
相手がお客さんのような場合、英語でいうLadies and gentlemenに相当する表現でΚύριες και κύριοι(キリエス・ケ・キリイ)というのはあります。キリスト教の祈祷でご存知の通り、キリオスは主人という意味で、女性の場合はキリア、キリエス・ケ・キリイは複数形です。
時々「マヌーラ・ムー」μανούλα μουという表現も物語中に出てきた。これ、文字通りには「私のおかあちゃん」という意味なのだけれど、これを言ってる場面で、必ずしも母親ではない人に向かって言っている。そもそもこの物語には「母親」というキャラクターはほとんど出てこないのです。困惑とともに「ねえ、どうなの」みたいなことを言う場合にこの表現が使われているように思う。