自分はギリシャ語を勉強した。古典語もコイネーも現代語も、ある程度やった。ヨーロッパの言語で英語は例外的に活用の少ない言語である。現在形では三人称単数現在のsしか活用がない。名刺も複数形と所有格の’sしかない。
フランス語も動詞はすごく活用する。ドイツ語は名詞も活用する。ギリシャ語はその親玉で、もっともっと活用する。しかし、それはヨーロッパの言語、いわゆるインド-アーリア言語の元々の形に近いと考えられている。
名詞には男性・中性・女性の区分があり、動詞には各人称の単数・複数、現在過去未来とそのアオリスト、能動・中動・受動の態がある。もっとも発音はそんなに難しくない。
活用の多い言語は、少ない語彙で話すことができ、比較的規則的に話すことができる。文法的に正しく考えて話せば、大体その通りの意味ではなせる。
英語は、多くの輸入語があり、一つの意味を表す複数の単語がいくらでもある。何かの表現をするためには、多くの慣用的な表現があって、シチュエーションによって単語を使い分けないといけない。そういうことが活用の多い言語では比較的少ない。
しかし、それやこれやの言葉を勉強しようと思ったのは、ずっと昔のことだ。
だけど、最近車に乗っている間CDをかけると自然とその内容を覚えることに気が付いた。そこで、大して意味もないような歌かなんかを聞くよりは、勉強していない言語のCDをかけてはどうだろうと思った。それでロシア語のCDを買ってみたのだ。ある程度わかるようになるのがいつのことかわからないけれども、ずっとかけ続けていれば、ちょっとは覚えるだろう。
まだよくわからないのだけれどロシア語では、動詞の活用に性がある・・・らしい。CDで日本語をいうときにわざわざ「男性が主語で」と指定して「私は~しました」みたいなことをいうのである。
女性がそれを話す場合と男性がそれを話す場合と動詞か何かが違っているということは、男の子はお母さんが話すとおりに話しても、正しいロシア語を話せないということになるのではないか?男性と女性は「私は~します」と言っただけで、どちらかわかってしまって、周りの人も「ああ、この子は男の子だね」というのがわかるんでしょうね。
ちょっと前にソチオリンピックで同性愛者が競技をするということについて、ロシア社会が受け入れないということが問題になって、プーチン大統領が声明を出さなくてはならなくなった。でも、生まれてこのかた、動詞で性が分かれてしまう言語を話している民族なら、中途半端な性という考えが受け入れられないということもあり得るのではないかと思った。
活用の多い言語って、なんというか、その国の文化というか、気質みたいなものを反映しているような気がします。考えようによっては男女で言葉が違うなどというのは、前時代的と受け取られるかもしれない。だけど、ある意味そういう文法の言語が存在するということは、その国の文化に深みを与えているような気がします。