免許をとる前自転車であちこちあるきながら思ったことは、散髪屋が多いということだった。
大阪にいたころは1000円の散髪屋を探していっていた。理容組合所属の3000円の散髪屋はあっても、都会ではQBハウスのようなチェーン店をはじめ、色々な店が値段破壊を行っている。
そこで、田舎に帰るとQBハウスはなく、広島から来ているサンキューカットという類似のチェーンが出雲と浜田にあるだけだった。恐らく、都会のようにスタッフや客を回せないのだろう。だからといって大型ショッピングセンター内にある出雲店にしても、お客さんが列を成しているというわけでもない。
今でもある程度そうだとは思うけれども、かつてここは建設業の割合の多い県として知られていた。きちんと腕を磨いた職人的大工がいるという側面もある。が、一方公共工事の受け皿としての建設業者が多いという側面も否定できなかった。
地域の多くを閉める兼業農家だが、農業そのものは大した収入にはなっていない。人々は昔から田や畑や山を受け継いで管理し作物を作っているが、それだけでは暮らしていけないのだ。
そして就職先は少ない。
理容店、美容院などは、1回髪を切って数千円の売り上げがある。原価はほとんどかからない。1日数人お客さんがあって、仮に売上げが3万円なら20日営業して60万の売上げの計算になる。お客さんが一日10人も来るかどうかわからないが、それでも一人の腕で自宅にいながら数十万の売上げは、田舎の所帯としては大きいといえる。また、人々も散髪だけはしないですませるということはなかなかできない。
だから、ある程度客を取り合ったとしても、散髪屋は割りと儲かってきたわけだ。各家庭でも散髪屋をやれば食っていけるという考えを持つ人は多かったのだろう。その結果、あちこちに散髪屋があるという状態になったのだろうと思う。
だけど、散髪屋ばかり沢山ある町って正しい姿なのだろうか。