なんどかメタボのことを書いてきた。
そう、いろいろ考える。
摂取カロリーを頭から信じるのは馬鹿らしい。さんまやブリはカロリーが高いから食べないほうがいいとか、チーズや乳製品はダメだとか、それはダメだろうと思う。同じ野菜でも野菜炒めはダメだという考えにも賛同できない。多くのビタミンが油とともに体に取り込まれることが知られている。
一方カロリーのノートをつけるのは、一定の目安にはなる。書くことで客観視もできる。
確かにうちの家庭は食べすぎかなあ。しかし、私の父母をはじめ、身近にいる人々が、摂取カロリー2000kcalなんてことは絶対ないと思う。食べすぎというのは、水野南北先生と比べて、修道院と比べて、永平寺と比べて、都会の人と比べて、ということであって、農家はこんなものだ。結局は「お前はどうなのか?」という問題になるだろうが、政府がするということになると、それとこれとは別なのではないかと思うのだ。
以前旅行会社にいたときに、日本人は外国の食事の量が食べられなくて、非常に多く残るのである。外国のレストランは最後にはそれを見越して、日本人だと思うと魚や肉の量を少しにしたりする。自分で予約を入れてレストランに行くとさらにドーンと出る料理が、日本人団体客だというと、ほんの少ししか出ない。日本人大丈夫か?と思う。一方で、一度農家の団体さんを連れて行って、これでもかというデラックスの料理を出したら、全部なくなった。都会の小食の皆さんが普通か?何か間違っていないか?
それと、ここのエリアはものすごくいいものを食べているということも思う。野菜は自給自足や物々交換などで、市場に出回らない新鮮なものが山のように手に入る。魚は新鮮なものが丸いままスーパーに並ぶし、朝方売りにくるおじさんもいる。豆腐の味も町では味わえない香りがするものが手に入る。何もかもよそから運ばれてくる都会のスーパーで、高い金を出して季節外れの野菜をちょっとだけ買って、足りない分を何かのサプリメントで補うというような生活と違うかもしれない。
だから、自分がすごく悪い生活をしていたとは思わない。
特定保健指導、つまりメタボに該当する人は大体5人に1人である。よく食べる人はみな該当するだろう。
それらの人に「2000kcal食べなさい」「BMI25以下になるように、10㎏やせなさい」という指導が正しいのだろうか。
その45歳以上の人の5分の1が標準体重にするとは思えないし、企ては失敗すると思う。今まで食事が西洋化し、体格やいろいろなものが西洋に追いついてきたわけだが、国民の体力もある程度弱くなるのではないか、と思う。
ただ、結局のところ代わりのものがなければ、手元にあるもので何とかするほかはない。摂取カロリー計算の代わりになる何かがなければ、摂取カロリー計算するしかない。何らかのモラルや食文化が定着してそれが良いということにならなければ、今のままで行くしかないわけだ。