自分やご依頼の方の運勢を出しているときに、ずっと年表を見ていると、意味合い的にご家族の何かが起こりそうなときという時期がある。
たとえば出生図中の月に対して、年運中のMCやASCや何らかの天体がアスペクトを作るとき、たとえばお子さんが出来たり、女性の親族のご不幸が暗示されたり、ということがある。
ご依頼の年表中で、「ああ、ひょっとするとこういうことがあるのか」と思うと、やはり自分自身のホロスコープや身近な人のホロスコープを見直す。と、やっぱりそういうことがありそうなのだ。
家族ばかりではない。友人の死というようなことを表す星が出生図中にあって、それに何らかの星がある場合。私の身近な友人が亡くなって、人生で悲しい出来事であったというようなことがある。しかし、その時期にその星に何かの天体が合になったりアスペクトを作ったりしている。
これって、普通に考えるとおかしなことのように思える。
これは私のホロスコープだ。子供のホロスコープでも親のホロスコープでも友人のホロスコープでもない。では、私が生まれたときにあの人が死ぬことが決まっていたのか?おめえさんが、何月何日何時何分にどこそこで生まれたから、あいつは何歳で死ぬことになった、ということか?まさか。
ほかの人の人生の出来事がかっちり決まっている、などということは私は信じない。
だけれども、運命というのはそもそもこういうものなのだと思う。
お互いにいわく言いがたい形でお互いがお互いと相対的なある関係の下で進んでいくようなものだということ。
命は、自分ひとりの占有物ではなくて、あなたと私と一緒に生きていく、というようなものなのだろう。もちろん、自分のことは自分で決めて自分で切り開くでいいわけだが、そうだったとしても、命は自分に与えられたものだ、ということなのだろう。