SMAPさんのヒット曲で、多くの人の心をとらえた歌だ。昨日、家族が拒食症・過食症についてのテレビ番組を見ていて、同様のテーマのことを別の表現で言っていた。「コスモスはバラになりたいとは思わない。」金子みすずさんの言い方だと「みんな違ってみんないい」というところか。
往々にして私たちは自分を2次元の座標軸の上において、どれぐらいのポジションにいるかを考えたがる。
彼は年収1000万だ。彼はバイトで月せいぜい15万がいいところだ。
あるいはBMIがいくらだ。摂取カロリーが一日何キロだ。
しかし、だから豊かだ、だから幸せだ、だから健康だとは言えない。月収が50万にもなって世間的にはいい収入かもしれないが、楽しくもなければ生きがいも感じないということはあり得る。摂取カロリーが適量でも必須アミノ酸が足りてないとか、結果的に年間で風邪で結構休んでるということはあり得る。だけれども、我々のMIND・・・日本語にすると一律に心ということになってしまうだろうが・・・は往々にしてそれで満足できず、自分は30点だ、80点だと言いたがる。かくいう私もそうである。
それに対し、あなたはあなたのいいところがある、あなたの花を咲かせればいいというのは、非常に慰めにはなる。
しかし、私はそのテロップを見ながら別のことを考えていた。
自分はこの人生だった。
あの人生ではなくこの人生だ。
そして、それはほぼホロスコープに現れる。第5ハウスが火のサインや激しい惑星で固められているようなドンパチ好きには私はなれないのだ。たぶん、ASCや太陽や月がカーディナルサインで、社交性の塊、会えば機関銃のようによく喋る人、そういう人は、私の性格・私の生活をうらやましく思っている。そして、死ぬときには、なるほど入院費用が楽にねん出できて葬式が立派かどうかの違いはあるものの、あの世にこの世の金を持っていくことはできないのだ。
苦労する人生というのは存在する。それは仕方がないことなのだ。ある人は激しく苦労する。ある人はずっと苦労する。ある人は若いときに苦労し、ある人は年を取ってから苦労する。
ホロスコープを見ることができれば、自分の人生を受け入れることができる。人生は別々ではなく、すべて一つの法則性、一つの神のもとに展開している。その中で、わたしの人生は彼の人生ではないのだ。