すごく健康に関するいろいろなことが世の中に出回っている。
自分の暮らしているところで毎日顔を合わせるのが高齢者ばかりというのもある。
テレビでもインターネットでも多くの健康食品などの宣伝がされている。
健康そのものはいいことだと思う。病気と闘っていて、健康を得たいと願って苦労されておられる方もいると思う。だけど、健康だということそのもの自体が、凄くポジティブな目標かというと、それはどうだろうかとも思う。
たとえば、早く走れるようになりたい、というのは一つのポジティブな目標だと思う。これこれの距離を今まで30分で走っていた。25分で走れるようにしよう。いいじゃないですか。
今まで行ったことがない土地がある。お金をためてぜひ行きたい。ついては、そこに行った時にばててしまわないようにウォーキングをする。いいじゃないですか。すると、ただ単に毎日ウォーキングをするというだけではなくて、その土地の本を読んでみたり、違う方向性の活動が生まれる。
人生では様々な恐れや不安があって、恐れや不安に生活が呑み込まれてしまうことがある。それは好ましい姿ではないと思う。あれやこれやで苦しいこととかやらないといけないことがあっても、これはやりたいこと、これは目指すこと、これは冒険したいこと、そういう何かを常に持っているべきだと思う。
こんばんは、ネコです。
そうですね、
今、テレビやネットで多く出てくる宣伝といえば、
健康に関係した品々、医療保険、お葬式費用保険、など等で溢れていますね。
なんだかかえって不安を煽っているような気がするのは私だけでしょうか?
不安に駆られ、健康食品を購入する、お葬式費用の保険に加入する、
何のための保険かしらん?
(子供たちに迷惑かけたくないから、少しは残してやりたいから、、などのコメント付
のテレビCM)
えっ?
人は、他者に一つも迷惑をかけないで死んで行くことなんかできないと思うんですけどね、、。
親は子供を慈しみ育て、子は親を看取る、のではなかったのでしょうか?
話が横道にそれました、。
そうですね、
健康を維持することは大切なことだと思います。
でも確かに健康そのものをポジティブな目標にするとなると、
何のために健康になりたいのか?となりますね。
そうですね、健康になって旅行に行きたい、
いっぱいいろんな事をしたい。
本当にそうですね、
人生にはさまざまな恐れや不安があって、恐れや不安に生活が呑み込まれてしまうことがある、、。
先日、私は、ある「聖職者の集まり」の集会に参加する機会を得たのですが、、。
その中の聖職者対象の無記名アンケートに
「これから先が不安でしょうがない、健康の事、経済的な事など等、自分が聖職者ゆえ、それを相談するところもない、信徒を不安に陥れることはできないから」
このようなことが書かれていたようです。
聖職者の方でもやはりそのようなことを、、と思い考え込んでしまいましたが、、。
あれやこれや辛いことがあっても、乗り越えなくてはしょうがないんでしょうね。
やりたいこと、めざすこと、冒険したいこと、
冒険!いいですねえ!
私もいろいろチャレンジ精神をもってやってみるのですが、
挫折が多いですね、
しかし、またチャレンジです。
長々、失礼しました。
ネコさん、こんにちわ。
本当は、そのポジティブな目標は何か、というのが一つの味噌だと思います。
その目標は二つあると思う。
1.とても現実的な目標。多分小さくて実現可能な目標。あるいは大きなものを持つ人もいるかもしれない。
2.魔術的な目標。おとぎ話の目標。抽象的な目標。
自分は2.のことを考えていました。1.の積み重ねはこれはこれで大事です。自分もそう思う。
英検を取る。マラソンを完走する。売り上げを達成する。
だけど、それは大きな人生の目標にすることができるか。
この辺はまた記事にしたいと思います。