パワースポット (1) 例えば荒野に出た時には、その日に野宿できる安全な場所を瞬時に見つける必要がある。その場所を見つけるカギは目なのだという。横目で何かを見て、両方の目が結ぶ像がずれる。その二つの像の間に何か見えるのだという。何が見えるかはわからない。カスタネダはそういわれてやってみるのだが、はじめのうちは見つけた場所は敵の場所だったりして、窮地に陥ってしまったりする。しかし、徐々にここにいれば安全だという場所がわかるようになってくる。
また、お気に入りの力の場所、戦士が最後に立つ場所を探しに行ったりもしている。この場合、彼らはどこに行くか前もって決めているのではなく、夜通し歩いて力をためて前兆を待つ。カスタネダの場合は灌木の茂みが見えて、そこに枝を取りに行ったらどこにもその木がない、という奇妙な現象を体験する。それが前兆で、素晴らしい場所を見つける。
その場所はすべてその人のもので、生身でも何度も来て、また夢の中でも何度も訪れることになる。戦士が死ぬときにはその自分のお気に入りの場所に来て、死ぬまで踊るのだという。
1970年代から80年代に、カスタネダのシリーズがスピリチュアル関係の思想に大きな影響を与えたことは間違いなく、欧米の多くの人が力の場所について何らかの概念を持ったと思うのです。またそういう文脈の中で先住民族の聖地であったセドナのような場所がパワースポットとして脚光を浴びたということはあり得るのではないかと思います。
猪目洞窟は夢で来ると帰ってくることができないと言われていますね。こうした概念に近いのかもしれない。しかし、パワースポットというのは、多分八重垣神社に一度行ったからよかった、という感じのものとは元々違うものなのではないかと思います。どこかの神社に毎日行っていれば、そこの神様とは何かの関係を持つことになるでしょうし・・・
心理学の治療で、子供の時お気に入りだった場所に行って、一日何もしないというのを聞いたことがある。これは、確かカウンセラーさんが3つぐらい手紙を持たせて、順番に開封させるというようなやり方をしたと思う。何かそういうものに近いような気がします。