日本の仏教に提案したい。
- 三帰依文
- 四諦
- 十二支縁起
を唱えること。毎日どっかで。漢文とかじゃなくて、日本語がいいね。
一応、仏教について知りたいと思った人が、「仏教入門」とか「お釈迦様」みたいな子供向けの伝記とかを手に取って読んでみると、だいたい同じこと、まともなことが書いてある。お釈迦様の生涯はこうでした。菩提樹の下で悟られました。悟った内容は四諦と十二支縁起です。
ところが日本の仏教に顔を突っ込んでみると、こうした「お釈迦様」だの「仏教入門」とは全然かけ離れた、わけのわからないことを言っている。それ仏教なの?
日本の既存の各宗派は、もともとの教義へのいわば反発によって出来上がっているからだ。
禅宗系統は般若経を大事にする。般若心経は釈迦の一番弟子、もっとも頭脳明晰なサーリプッタに観世音菩薩が「お前さんの知っている十二支縁起にしても、その一つ一つの構成要素は空なのだから、呪文だけとなえてりゃいいんだ。」とやり込めるという内容になっている。
法華経は、いわばそれまでのお経の否定である。あれやこれやお釈迦様はお説きになったけれども、それらはいわば方便で、最後に説くこの経が本当だ、と主張する。
浄土系の仏教は、いわばお釈迦様そのものを否定した。阿弥陀さんが最初、根源的な仏なのだ。お釈迦様は阿弥陀さんのお弟子さんだった。阿弥陀さんだけ信じて名前を唱えれば、娑婆の仏なんかどうでもいい!?
しかし、一応いずれの経も、「伝記 お釈迦様」とか「仏教入門」に書いてあることを、前提はしているのです。「あそこにああ書いてあるけど、実はこうだ」といいたいがために、それぞれ俺んとこの経が最高だと主張している。
ところが日本人はそもそも「あそこにああ書いてある」内容を知らないのだ。仏教の基本的な概念を一般の信者が知る方法を、仏教教団は提供していないのです。
で、とりあえずそこまでは一般の人がわかるようにしたらどうですか。今のやり方は、北海道に行ったことのない人に「札幌の南四条に行かないとダメだ」といってるようなものに見えます。それよりは、もう少し多くの人に「北海道、どうですか」みたいにすべきではないか。