占星術のようなサービスを提供した場合、何かが当たるか当たらないか、という問題については、ある程度術師を責めてもいいとは思う。雨が降ると言っていたのに降らないじゃないか、うまくいくと言っていたのに、別れたじゃないか、みたいな。
理屈は別にあるにしろ、最後の最後は当ててなんぼが占い師だ。そこがメリットなのだから。
しかし、それはシェークスピアの「マクベス」に出てくる3人の魔女のような結果にもなりえる。「バーナムの森が動かない限りは大丈夫だ」しかしバーナムの森は動いた!実際には進軍を隠すために木の枝をかざした兵隊たちが歩いていたわけだが、森が動いたように見えたわけだ。
魔女たちの言ったことは当たったけれども、マクベスは結果的に戦死してしまい王位を保つことはできなかった。
別に占星術に限らず、あらゆる人間関係において、自分の幸せには自分で責任を持つ、という原則を持っていることが重要なのだろうと思う。
もし占星術にその部分を託してしまったら、その人は「占いヲタク」になってしまって、占い師の言うことに一喜一憂することになるだろう。
もし配偶者に幸せを託したなら、多分必ず「自分は裏切られた」と思うだろう。「ああしてくれるはずだったのに!」
きっと幸せになってくださいと占い師が言い、そう願ったとして、なんの悪いことがあろう。
「きっとこうです。」
「この人と一緒がいいです。」
「この人はダメです。」
しかし、最後は自分が決めて、そのまいた種は自分が収穫する。そういうことにしておかないと。