今回のISILの日本人の人質殺害事件で、テレビにでる人々が「しかし、イスラム国は単なるテロリストで一般のイスラム教とは違う」と言っている。
日本のいろいろのモスクにもテレビカメラが入って、日本のムスリム達が、「彼らはイスラムの名前を利用しているだけで本当のイスラム教は違う」と言っている。
パリで新聞社が襲撃されたときも、パリ・ジェンヌ達はテレビの画面を通じて、「テロリストを非難することと一般のイスラムとは分けて考えないといけない」と言っていた。
テレビではそういっているかもしれないが、それはたかがテレビ局がすることだ。敢えてそういうことを言っている人だけがテレビに映っているのかもしれないし、またテレビ局にそういうことをいうのは、たまたまそういう考えを持っている人だけかもしれない。本当は「テロリスト=イスラム」と思っている人もいるかもしれない。
イスラムはそういうテロリスト、武力行使を教義的に含むと考える人もいる。
実際にイスラム国に入る人にはイスラム圏から欧米の国に来たものの、差別されたりして経済的に苦しい若者なども多いと聞く。確かに、イスラムの人々は、イラク戦争とかいろいろ苦しい目に遭ってきた。イスラム国に希望を抱いた人もたくさんいたのかもしれない。
今、私は正直日本の田舎にいるし、ほんとのところはどうなのかわからない。
ただ、こういう問題はあると思う。
「イスラム国は、イスラムをテロに利用しているだけだ」というイスラム教徒は、ただのイスラム教徒である。テロリストもイスラム教徒である。
キリスト教、カトリックや正教ではこういうことは起こらない。なぜかというとヒエラルキーがあるからである。その組織にトップがいる。
たとえばカトリックにバクダディみたいなやつが現れて、「キリスト教の教えに基づいて新たな国を打ち立てる」とかなんとかいってテロ行為をしたとしてもローマ法王が「そのような活動はカトリックとして正しい行いではない」と言えば、テロリストと言えども従わざるを得ない。ローマ法王でなくてもいいだろう。たとえば東京でそういうテロリストが出てきたときに、テレビが東京の管轄司教を取材して「これらの人はカトリックとは認められません。」といえば、テロはできなくなる。
そうすると、「イスラム国は宗教を利用しているだけで、本当のイスラム教ではない」という、その「本当のイスラム教」は誰が担保するのだろう?本当のイスラム教ではないというそのイスラム国のムスリムは、誤った教えを信じたものとして断罪されるのだろうか?多分イスラムにはそういうものがないのである。
これは、思うに、よくありませんね。イスラム国は簡単になくならないだろうし、逆にその点は弱点にもなり得るだろう。