SDGsとか脱炭素とか温暖化とか、ああいうのはもうやめたほうがいいんじゃないだろうか。
今、学校もメディアもみんな「温暖化対策をするのは正しい」という前提で進められている。学校では生徒たちはかわいそうなものだと思う。有無を言わさず、それについて考えさせられる。おそらく彼らは、その多くの事柄が間違っており、無意味だったということに気が付く時が来ると思う。
温暖化対策だとか脱炭素だとかいうことで私が納得できないのは以下のようなことだ。
- 地球温暖化の根拠は諸説言われており、そうした仮説が正しいということが科学的に証明されたわけではなく、多くの反証がある。
- 化石燃料の代わりに電気を使いされすれば温暖化対策がなされているという主張のおかしさ。
- 脱炭素を進めることによって、結果的に危険で人間の生存を脅かす原子力が肯定される。東電福島大生き原子力発電所の吉田所長は「東日本には人が住めなくなるかもしれない」と言って奮闘した。日本の半分が居住不可能になるようなものに将来を託すのか。
- 山を切り開き太陽パネルを設置し、その処分にも困るような再生可能エネルギーが持続可能なエネルギーに見えない。
- 温暖化やSGDsを重要視することによって、国民が豊かになっていない。
- 温暖化対策をせんがために国民がより高い商品を買わなければならなくなっている。その商品が高いということは、いわばそのために多くの生産工程が発生しているということであり、つまり温暖化を推進しているのと同じことだ。
- 脱炭素を主張するあまり、大陸棚の資源について国民が注目していない。狡猾な諸外国は、表向きは脱炭素がどうこう言いながら、実質はそうした日本近海の大陸棚の化石燃料の資源を狙っているのに。
この冬東京には割合降雪があった。
ニュースは何と言っているだろうか。
「電力不足が懸念されますので、暖房は控えてください!」
およそ電気の供給もままならない状況で、自動車はガソリンをやめて電気自動車にしましょう!といっている。
おかしいと思いません?
電気自動車に乗るためには、これまで以上に電気を発電するほかはない。それにはどうせ石油がいるのだ。電気は一定量を作り出すのには効率的な方法かもしれないが、簡単に増減はできないエネルギーだ。突然冬寒くなって、各地で暖房がピークになった時に、北陸道で電気自動車が動けなくなってしまった・・・悪夢だ。
それで、自分も自分の住んでいる周辺で、そういう大きな太陽パネルを設置した空き地のようなものを見かける。竹も切らなくちゃいけない。草も刈らないといけない。そこでは作物も作れない。これが「持続可能な」社会なのか。
で、どうにも我慢ができなくなってしまった。
たぶん、これはおかしいよ。
何かおかしいことが進行している。
これが絶対的に正しいと考えるなんて、やめましょうよ。
ちょっと疑ってみようよ。
お久しぶりです。実は1月半ばにコロナに罹患してました。とっても臆病なうちの会社は、保健所から出社オッケーとなってもさらに1週間休ませられ、1月はほぼ仕事もせず。当然復帰してからは大変です^^;
そして、社内でもSDGs、対策会議が始まりました。私もメンバーです。私も温暖化と脱炭素は全く嘘くさいと思ってるので微妙な気持ちですが、会議出てみて思ったのが、やはりこれはビジネスなんだな、ということ。流行に乗っからないと商売できない。
コロナも陰謀説を信じるわけではないけれど、ワクチンや薬の開発で儲けている奴らがいるのも確か。温暖化と脱炭素も儲けてる人がいるはずです。SDGsは国連を、コロナはWHOを巻き込んで。
世論のコントロールみたいなのは絶対あると思います。
あめさん、こんにちわ。
コロナ、大変でしたね。
社会的にSDGsがビジネスで、そういう立場に立たなければならない人がいるということは理解します。
自分もこんなことを声高に言わなくてもいいかもしれないと思うのだけれど、大人はまだしも、一部の子供は純粋にこれを信じてしまっています。
それが一番心配なところなんです。
「あれ、おかしいとわかっていたんだろ。なんでそん時言ってくれなかったんだ」
と思うから。