占いのブログで馬鹿げたタイトルだとは思うのですけど、占い的にわかる運命以前に、これは運命だなというのがあるわけですよ。
たとえば長男に生まれて、家を継ぐということが最初から決まっていた人生。親の職業を継ぐ、それにふさわしい教育を受ける、それにふさわしい嫁さんをもらう、それにふさわしい長男さんが生まれてまた同じように教育する。
自分の場合、昔から結構養子に行くか?という話があった。自分としてはあんまり意識してそういうことを考えたことはなかったが、要するにどこかに行くことが最初から期待されていた、と思う。しかし、結果的には現在実家に住んで、ひょっとすると家を守らないといけないのではないかということで、家のことをあれこれをやることになっている。
それって、当たり前の話だけど人によって違うよね。
自分は若いときに、親に守られてどうこうというようなことは、あんまり考えなかった。親はあまり期待できるものではない、と思っていた。その代り、自分で何かする分は自由だ。
たとえば頑張って外国に行けたらそれはそれでいい。稼いで金をためて、やりたいことをやっていきたい所へ行けばいい。
そこで他人さんが外国に行きたいと考えていたとして「そんな行きたかったら、とっとと行ったらいいじゃん。」とためらいもなく言ったと思う。しかし、簡単にはそれができない人というのも、いらっしゃるわけですね。しかし、だからその人が不自由だというわけではなくて、そういう人にはそういう人で、そういう環境での人生というものが別にある。たとえば親から家や車を当然のようにもらっている人もいるわけだ。
そんな当たり前のことを、今更考えます。家庭との関係の示唆もホロスコープ中にあって、最初にホロスコープを作った時は中学生。でも、そんなことを何も考えなかったです。