この願いというものは、この一瞬忘れない、というものでなければならない。この一瞬忘れなければ、結果的にずっとその願いを持ち続けることになる。なぜなら、この一瞬は決して終わらないからだ。
正教会の祈祷で、初心者の人でも必ず耳につく句は
「今も、いつも、世々に」
というものだ。それは詳しく言えば、
「今もそうです。その結果常にいつでもそうです。そしてその結果、100年の100回のずっとずっと永きにわたりそうです。」
ということです。続いているの。なぜかというと、今が終わらないから、いま大事にしていることは一日中大事にしていることになるから。
そして、必ずそれが叶うと信じなければならない。ニヒルになってはいけない。
そこの叶うというのは「必ずこの宝くじで3億円が当たる」と言っているのではない。きっとよくなるということに対する、平静さ、楽観、落ち着きのことである。きっとうまくということを、口に出して繰り返さないといけない。ダメになってしまう、ということを知らず知らずのうちに自分に信じ込ませてしまっているのです。それでは変わることができない。その際には、きっと口に出さなければならない。書かなければならない。この世にそれをあらわせば、それは現実になる。毎日必ず「自分はうまくいっている。実現している。」と唱え続けるようなことをしなければならない。
そうすれば、いつか突然「あっ、そうか。うまくいっているぞ?」と思う瞬間が来る。
ニヒルになってはいけない、よくわかります。そうなると本当に願いは叶わないですね。
願い続けると言うのは本当に力があると思います!
ただ、自分の心の持ちようで「どうせ…」と言う気持ちが往々にして出てきます。そこをどう乗り越えるか、ですが、なるほどそこで繰り返し口にすると言うのが大事になってくるのか…。
あめさん、こんにちわ。
そうです。
自分が車で聞けるように、録音しているのもそういうことです。
形にしないといけない。