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音楽は多分あんな道

占星術というものは、一応の理論というものがあり、占星術をやろうと思う人は誰でも基礎的なことを学ばなければならない。おひつじの性格というようなことを抜きにして、占星術を始めることは出来ない。

一方で、あまりにも理論的なこと、定義済みの手順に従うことに没頭してしまうことは好ましいことではないと私は思う。それは、要するに頭と自尊心を満足させるだけのものになってしまう。たとえば占星術師がやっていることが一定の手続きで被術者に答えを出すことだとしても、実はそれは副次的なことで、占星術師にとって重要なことはそれによって神・聖霊に目を注ぐことなのだ。逆説的だが、占星術師が占星術師であることは、好ましいことではない。しかし、占星術師という隠れ蓑を着ていることは、有益なことなのだ。

この矛盾を解決する方法は、当てることである。具体的なことをとにかく当てる。「あなたは優しい性格で迷いがあります。」みたいな、誰にでも当てはまるような言い回しではなく、「あと3日後にクリーム色の本棚からなくしたCDが見つかります!」というようなことをいうことである。

 

今日、いろいろ考えていて、実は多分音楽も同じなのだろうと思った。

 

自分は、一定の効果を生む音楽というものに興味があった。ある時期、割と一生懸命音楽を学んだけれども、「これが音楽なのだ」というのが何かわからなかった。多分、必ず「このメロディーを使えばそれを聞いた人は例外なく怒る」とか、「この音楽をならすと城壁が壊れる」とか、その法則性が何らかの結果をもたらす音楽があるはずだ、と思っていた。

そして、ビザンチンが十二平均律で出来ないと分かったときに、自分は既存の音楽を捨ててしまった。昔の人はそういう法則を意識しており、それは現代の音楽の理論では無理だ。

 

それでも、多分音楽をする人は、演奏しなければならない。それはなんとなく演奏するのではなく、この音楽で必ず相手を悲しい気分にさせるとか、この音楽で必ず喜びを高揚させるとか、そういう企図のもとで音楽を演奏し、また音楽を作曲しなければならない。

多分その法則は、占星術のような法則なのだと思う。演奏している人には何か感じられる。だが、理論的に「これこれこの方法で、必ずこの反応を引き出すことができる」というようなものではないと思うのだ。

理論がわかったからと言って、たどたどしいピアノ演奏では多分ダメだ。苦も無くその結果を導き出せる優れた技術も恐らく必要だ。

丁寧に、謙虚に、しかし実践をしないといけないのだろうと思う。

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