本当にいまこのことが起こっているのか?
私たちはニュースを見る。人と会話をする。それで、いまこのことが起こっている、と思う。
だけど、もしあなたが全く今までに行ったことのない土地を移動中だったら。あなたは見たことのない景色に心を奪われている。果たしてロシアに隕石は落ちたのか。
もし大震災の最中に、東北のことなど気に掛ける余裕もなく、西の国のどこかで懸命に家族のために生きている人がいたとしたら。
たとえば、キリストが生まれた時、そのニュースをたぶん誰も知らなかった。ペルシャのマゴス(ペルシャ周辺の僧侶、聖職者、知的指導者)が知っていた。天使と羊飼いが知っていた。しかし、多分後は誰も知らなかった。ニュースだって?マカベイオスがローマにはむかったことだ。そうでしょ?
今日、あなたの隣の村で、世界をひっくり返す重大ニュースが起こっているかもしれない。その子が生まれなければ、世の中の大事な何かが変わらないような、重大な誰かが生まれたのかもしれない。
いや、ひょっとすると、世界はそもそも重大ニュースによって成り立っているのかもしれない。神様があなたの歩む道にちょっと雪を残しておかれた。そのほんのちょっとしたことが、とてつもなく重大なことかもしれない。