「すつう をみぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ」(私はあなたの顔ではなくあなたのこころの望みを映す)と書かれた鏡。ハリーポッターと賢者の石の中に出てくる鏡です。
その鏡の前に立つと、その人が「こうであってほしい」と思うことが映る。ハリーが立つと、両親と一緒にいるところが映る。ロンが立つと優等生になっている自分が映る。
ところがダンブルドア校長はこの鏡の中に賢者の石を隠す。彼曰く、賢者の石を使ってあれをしたい、これをしたいと思っている人は石を見つけることができない。彼は石を使って何かすごいことをしている像を見るだけだ。純粋に石がほしいと思っている人だけがそれを手に入れる。このトリックでクィレル先生やヴォルデモートは石を見つけることができず、ハリーがそれを手に入れることになった。
後で考えてみると、夢とか、信じるとか、あちら側に関することについて、これはとてもうまく言っていると気が付いた。特にその、最後の石を見つけるくだりです。
通常、我々はそうなってほしい、と思うそのことを信じていない。そうなったらこうだろうな、ということしか信じていない。
親の死の瞬間、遠く離れて暮らしている子供のところに、親の幻影が出現するという話はいろいろ聞いたことがある。多分親はその瞬間純粋に子供に逢いたいと思っているのです。だから彼の願いは叶う。彼は何千キロの距離を超えて子供に逢いに行く。
しかし、通常我々はロサンゼルスに飛べたらいいだろうな、と思っているが、ロサンゼルスに行きたいとは思っていない。ロサンゼルスに飛べたらいいだろうな、と思っている人はロサンゼルスには行かない。ロサンゼルスに行きたいと思っている人がロサンゼルスに行く。
信じればあの山に動いて海に入れ、と言ってもそのようになるだろう、と主はおっしゃった。通常、「あの山が海に入れ」と人は思わない。「あの山が海に入ればいいだろうな」としか思わない。信じることはとても難しい。
その人の純粋な願いは、多分叶う。問題は、純粋な願いなどというものは、通常絵空事、とても得ることのできないものだということ。自分が欲しいものはこれなのだ、ということがなかなか難しい。それはいくつもの覆いに隠されている。