自分はロシア語を勉強している人たちと会って、ロシアの正教会の基本的な知識みたいなものをまとめる必要が出てきた。
函館領事館付きの修道司祭ニコライ・カサートキン、後の日本の亜使徒大主教聖ニコライだけれども、彼が教会を日本に立てた時に、聖堂を入った時の極彩色のイコンや司祭の切る派手な祭服、独特の聖歌、いくつもの鐘をメロディーを奏でるように巧みに叩く様子を町の人々は見た。その結果、西洋から伝わった真っ白い建物に黒い服を着た牧師がいるキリスト教と同じものだ理解することが出来ず、ニコライ教という別の宗教だと誤解した人々がたくさんいた。
ギリシャに行った時もこういうこともあった。
「神の幕屋」なるキリスト教系のいわば新興宗教を熱心に行っている日本人の皆さんがいて、彼らは彼らなりに熱心にヘブライ語を勉強したりキリスト教の真実に近づこうと熱心だったが、せっかくわざわざ日本からギリシャに来ているにもかかわらず、地元で行われている正教会には見向きもしなかった。正教会の祈祷は詩編の寄せ集めと画像の偶像崇拝で、あんなものはキリスト教ではないという見方をされていたようだった。キンキラキンの正教会に対してはやはりかなりの抵抗があったのである。
逆に言うとそうした見方は日本におけるキリスト教への典型的な見方を代表しているといえると思うのだ。
現実に正教がいいかどうかということについては、教義がどうだから、文化がどうだからということでは済まないというのは事実だ。正教の人がプロテスタントやカトリックの皆さんほど熱心な信仰がありません、ということになってしまえば、所詮世界の端っこの日本で信頼されることはない。中にいる人が本当に素晴らしい実を結んでいます、というのでなければならない。だから、自分もなにか言い争いをしてまでどうでも正教会がいいよ、と人に強いるようなことはあんまりやりたくない。
ただ、正教会に触れることによって、自分の視点はいつも4世紀とか7世紀とか、かなり初期のキリスト教の姿に注目することができる。ロシア人のやっているあのキンキラキンの教会の姿、あれはいったいいつからあったのか?ところが7世紀の聖像破壊運動で難を逃れたイコンのようなものの姿の中に、すでにそれないりに派手な格好をした司祭さんの姿はあるのだ。ちょうどそのころにまとめられたダマスコのヨハネの聖歌、それはギリシャではそのまま歌い継がれている。ロシアではピョートル大帝がやったのか聖務院の仕業か音楽は西洋化されたが、祈祷の文言や形式そのものは変わらない。聖体礼儀は聖ヨハンネス・クリソストモス(金口イオアン)の名前を冠するものが行われているが、この人は4世紀の人でその形式はそのころから変わっていない。
つまり、カタコンベでやっていて散々迫害をされ、やっとローマが認めたその教会の姿というのは、日本の人がちょっと拒否反応を示すような、このキンキラキンのものに比較的近い姿のものだったのだ。真っ白い教会に十字架があって黒服の牧師さんがお説教をするという姿では少なくともなかったのだ。
そして、本当にその中には、素晴らしいコスモロジー、教育的な仕組み、音楽の精緻な理論というものがあって、さらにそれが現実に神に近づくという視点で有益なものだったと思うのだ。
だけど、その前にもう一つ検討したいことがある。それはカトリックさんの姿なのだけれど・・・(続く)