私の住んでいる地域はやたら焼きサバが食べられる。竹串に刺して焼いたサバだ。昔今のコンビニに近い店として、よろず屋と呼ばれる雑貨店が地域にあった。そのよろず屋も、よろず屋なんだけれども、でも単なる万屋ではなくて、魚屋っぽいよろず屋があったりした。
地図上雲南となっているところは、木次と呼ばれる町だ。雲南、奥出雲というのは、出雲の奥まったところ、出雲の南という意味で、あたり一帯をさす言葉だった。今の雲南市民病院は、以前は雲南共存病院と呼ばれ、現在の奥出雲町の医療の中心としての機能も期待されていた。しかし、雲南市、奥出雲町という自治体ができたために、雲南といえば木次の周辺、奥出雲というと仁多の周辺ということで地図に書かれる。
地図上の雲南から奥出雲、つまり仁多や横田と呼ばれる地域まで行くのに、車でも小一時間かかる。
なんでも昔海岸線から魚、サバを運んでくると、木次のあたりが生で運んでくることができる限界だったのだという。そのため木次周辺では焼きサバの店ができ、そういうものを食べる文化ができた。
ということは、横田や仁多の人はなかなか魚などは食べられなかっただろうと思う。ということは、別のものでカルシウムやたんぱく質を補わなければならなかったはずだ。
奥出雲町は、和牛の産地として有名で、また牛の堆肥がコメ作りに利用され、仁多米の栽培に一役買っている。別に牛自体は昔はどこにでもいたとおもうのだけれど、やはり奥出雲に牛が残ったのはさかなが簡単に手に入らないという事情があったのだろう。