昔、ウスペンスキーの「奇蹟を求めて」の中で紹介されていて、いろいろ頭を悩ませた象徴である。
これは一つの有機体を表しており、お茶やコーヒーのような人間生活で特別の役割を果たしているものは内部の正三角形を持つ。
エニアグラムは賢者の石である。あるいは、人々が昔から探し求めてきた永久機関である。
私自身は結局エニアグラムがなんなのかいまだにわからない部分もある。しかし、グルジェフが言ったことのうち、要するに象徴とはなんなのか、ひとつであるということはどういうことなのか、そういうことはわかるように思う。それがホロスコープであったとしても九星盤だったとしても、それは世界をある地点で切った金太郎飴の顔なのだ。世界は生きていて、それぞれのポイントでつながりあっている。
九星に出会ったときはこれが最も近いと感じた。内部の三角形が土星に相当している。土星はみな変化を表すが、エニアグラムの中でも変化のポイントに正三角形がある。ミとファのインターバルの間が一つ。シとドのインターバルの間が一つ。
しかし、この象徴体系が所謂占いのように、目の前の事象に適合できるとは思わなかった。そういう風に考えてみたことがなかった。あくまで、エニアグラムは一つのコスモスであり、有機生命体であるべきだ。しかし、徐々に象徴というものに対して緩やかな視点を持てるようにはなってきた。エニアグラムの6という数字を見ていては何も連想しないが、八白だと思えば踏切もホテルも曇天も八白なのである。カバラの人たちも生命の樹に対してそういうアプローチをする。
それで象徴に対して、ある程度理解は深まった部分はある。それでも、まだエニアグラムは謎のままになっており、本質的な使い方はわからないままだ。
人はエニアグラムを当てはめられるものだけを知っている。そういわれてもわからないが、言わんとするところはわかるよ。
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ところがどうだ。いつかしらエニアグラムが性格分類の方法だという本が出始めたではないか!
何かおかしなアンケート項目にこたえると、あなたは~のタイプですみたいな結論が導き出される。就職活動にエニアグラムですって?馬鹿な。しかし、あろうことか、この動きには一定の支持が集まって、本も売れればワークショップも開催されている。
これはおかしいでしょう。いくらなんでも。
もともとのエニアグラムの意味合いはほとんど痕跡もなく消し去られてしまっている。ネットで「エニアグラム」を検索しても、それらしい情報にはほとんど絶対たどり着くことができないようになっている。
エニアグラムを性格分類法として紹介する機関は、故意にこのエニアグラムの起源をぼかして紹介している。古代エジプトがどうだとかなんだとか・・・。古代文明に起源を求めるのなら、もう少しかっこいい形にすべきだった。九星ならまだ魔法陣になっているじゃないか。それか、どこかの神殿に刻まれている写真か何かを紹介すべきなのではないか。
さしものグルジェフも天国で失笑を禁じ得ないだろう。