昨日テルマエ・ロマエがテレビで放映されていた。この出会いの仕方はなかなかいいなあ。なんか上戸さんがうらやましいような・・・いや、そういう話じゃないんです。
この映画のあちこちに「誰も寝てはならぬ」とか、イタリア音楽が使われていた。しかし、もちろんこの時代に今のオペラ音楽はない。バッハの時代にチマローザ、スカルラッティなどの優れた音楽家がいたのは確かだが、それは日本でいえば戦国時代ぐらいのことである。ではそれ以前はどうなのか。グレゴリオ聖歌、これは古代の文化の名残を継承するものかもしれないが、その旋律は、ホールの中で響く3度の音程移行を多用しており、またユダヤ教の音楽に影響されたといわれている。ということは、考えようによってはローマには独自の音楽文化とかはあまりなかったわけだ。
仮にもしこれがローマではなくてギリシャだったら?グレゴリオ・パニアグワが古代ギリシャ音楽を再現したレコードがある。各神殿では特別の儀式が行われ、悲劇・喜劇が奉納された。そこでは様々な音楽が存在した。ギリシャ悲劇の後ろにいた合唱隊の名前がオーケストラの語源であることよく知られている。ギリシャを継承した東ローマの聖歌はカトリックのそれとは非常に異なっている。それだけではなく、東側は音楽理論を帝国内で統一した。現代でもアラブの正教会はギリシャの理論で歌唱している。豊饒な音楽文化があったことがわかるのである。
トランペットとオペラでごまかすことはできなかったはずだ。
これを見た印象が、だんだん私の中で、すでに人々によってよく言われているある事実を明瞭にしてくれた。
ローマにはひょっとして大した文化はなかったのだ。
幸いにして、私はギリシャにも行ったし、南仏のポンデュガールとかローマのコロッセオとか訪問する機会に恵まれた。素晴らしい石造建築であり、文明化された現代顔負けの劇場施設だったりはするのである。
だが、それはパルテノンのアテナ神像と一緒だろうか?こうした神像は美しく彫刻され、また彩色されていて、訪問した人には誰に対しても同じ印象を与えるものだと言われている。ローマはギリシャの彫像をまねしたが、彩色しなかった。多分この傾向はその後も続いた。バチカンのピエタは真っ白だが、イコンは彩色されているのである。
ローマの文化は、あくまで実用的なもの、享楽的なものだった。ギリシャのように宗教・知識・文化ではなかったのだ。