男女平等。今はそれが当たり前だ。一番簡単に平等にできそうな職場では、なかなか一緒にならない。どちらかというと結婚、相続、普通の生活のほうが進んでいるかもしれない。
しかし、この平等というのは、どうなのだろうか。
黙ってなんとなく話が進んでいけば、母親と子供の結びつきは強い。
たとえば離婚するというようなケースがあった場合、男性が子供を引き取るより、女性が子供を引き取るほうが実感としてありそうに思えるし、統計的にもそれを裏付ける結果が出ている。
それから、これは社会状況にもよるだろうから一概にいえるかわからないが、離婚しなかったとしても、普通の家庭で父親の力というのは年齢とともに弱まるように思える。これは単に自分がこう思うというだけで、裏付けがあるわけではないが、それでも多分多くの人がそう感じているのではないだろうか。
自分が思っているのはこんな感じだ。結婚当初、すぐ子供ができてもお母さんはフルタイムで働けない場合が多い。就職して数年の男性は意欲にもあふれ会社の中でも戦力として期待される位置にいる。このころ、お母さんは子育てに奔走しながら、家計を何とかやりくりするが、家は夫が支えている、という構図になりやすいように思える。
子供が成長し、少しずつ手が離れるようになってきたくると、お母さんは徐々にパートなどの仕事をするようになり、子供が10代なかばぐらいになると、やっと余裕ができて自分のしたいことをするようになる。そして、男性ほどの責任を期待されず、家計を回すこともわかっているため、割と柔軟に新しいことに取り組める。
ところが、このころ男性は徐々に職場の問題が出てくる。起業して最初にド派手に失敗した人がどうなるのか知らないけれども、普通に就職した人なら、昇進をめぐる問題とか、出向するとか、転職するとか、何かの問題が起こりやすい。男性はそういう問題をあまり家に持って帰ることができないから、どうしても孤立しがちになる。考え方の古い爺さん婆さんがいて、旦那の肩を持ってくれるようなお家に嫁に行ったのならそういうことはないかもしれないが、核家族の場合には多分40代ぐらいになれば家庭に関するほとんど全部を奥さんが握っているのが普通の姿のように私には思える。
私たちは平等というのが正しいのだ、戦前の家の制度、男尊女卑の考え方は古い間違った考え方なのだ、と教えられてきているからそれが当たり前と思っている。
頭で考えると「平等」という考えはいかにも正しいように思える。
しかし、家の制度・男尊女卑の制度というのは、それなりに実際的な側面を持っていたのではないかと最近思う。
時代劇のお武家さんなんかで、子供が生まれると世継ぎが生まれたとかなんとかで、その後奥さんが子供と別れたり、子供がよそに養子に出されたり、男性中心の家系で話が進んでいくのをよく見る。しかし、あのようにしないと、多分家系はばらばらになってしまうのだ。国が国民に完全な平等や社会保障を保証し、一人で全く新しい場所で住み始めても幸せに暮らせます、という前提があればそれでいいのかもいれない。しかし、それは戦後何十年かの幻想であって、本当はそれでは社会はやっていけないという風潮になりつつある。