自分は大阪に前にいて、今島根にいる。車にも乗らなかったし、自分で食事の用意もした。人生の状況もいろいろ違っていた。
しかし、今は全くそんなことは何もなかったかのように暮らしている。
出かけるためには車が必須。台所は母のものだ。田んぼや自治会の心配をしないといけない。一般的な、幸せな移動や変化の場合、それらの記憶を共有しているている人がいる。自分の変化の場合、そういうことがあまりない。
その時に、「大阪ではああだったのだから、ここでもこうしよう」という風に自分は反発したりしない。生まれた家だし、今までも変化の多い人生だったし。そして、何事も起らなかったかのように新しい生活を送っている。
昨晩地震があって起きて、なぜかしばらく大阪でのことを思い出した。その間田舎にいる私の親などは、ずっとここの家から私を見ていて、私の変化は客観的に見ていたわけだ。私に起こった変化は私のもので、彼らには同じ変化が感じられていないはずだ、という当たり前のことに気が付いた。
大きな変化を経験した時に、その変化の後を自然に埋め合わせるような働きを心は持っているのだと思う。
人生の状況は違うけれども、たとえば東日本大震災で被災した人などもそういうことを経験しているだろうと私は考えている。昨日までは家があって、家族がいて、町があって、仕事があった。ところが、ある日を境に家がなくなり、家族がなくなり、町が消滅して、仕事もなくなった。
にもかかわらず、その日一日の暮らしは、何事もなかったかのように過ごしている。もっとも東日本大震災の被災者はみんなが同じ体験を共有したのだろう。だが、住まいが狭くなって、家族がなくなって、仕事もしばらくパッとしなくて、それでも豆腐を買いに行くとか、新しく仮設住宅で仲良くなった人と話をかわすとか、こまごまとした日常がその人の生活を成り立たせているのだろうと思っている。
忘れる、ということはなんと偉大なことなのだろう。
本当は別にあの時の記憶がなくなっているわけでもなんでもないのだ。本当は事細かにそれらの出来事はどこかに保存されていて、すべてきちんと再現できるような類のものなのだ。あそこに通路があって、あそこの角にごみ箱があって、あそこにあの看板があった!意識しているわけでもなんでもなくても、全部覚えてはいる。
それをいつも覚えているということが、場合によっては人生をとてもつらいものにする。ところが人は大きな変化を経験したのち、都合よくいろいろなことを忘れて、人生の小さな断片を拾い集めながら、何事もなかったかのように人生を修復する。