いえ、昨日の英語の歌の話題の続きです。
ビザンチン聖歌の場合、ある音節が音符に対してどういう関係を持つかによって、3つの種類に分類される。同じ調(いわゆる旋法)であっても、この三種類によって音の使い方が別々に決まっている。
ほぼ1対1で対応するものはイルモロギカと呼ばれる。イルモスというのは荒野という意味で、この歌の代表的なものは早課のなかで荒野をモーゼに率いられたイスラエルの民がエジプトを脱する様子など旧約を題材にとって歌われる歌である。日本では往々にして領聖詞(カトリックでいうアーニュス・ディ)に相当する場所で歌われている。日曜や祭日のトロパリと呼ばれるものもこの形式になっているし、アンティフォンで唱えられる小さな句もこの形式になっている。
複数の音符に一つの音節が対応し、ほぼ一小節で一つぐらいの単語が歌われる形式はスティヒラリカと呼ばれる。代表的なものは、「主や爾に呼ぶ」とか「およそ息あるものは」などである。聞いた感じは、ほぼ日本の民謡や「上をむ-う-いて、あるこ-お-お-お」と同じぐらいの母音の伸ばし方になる。
一つの音節が複数の小節に渡って歌われるものはヘルビカと呼ばれる。ヘルビカというのは、ヘルビム(ケルビム)から来た言葉で、聖変化前にご聖体を宝座に運ぶ時に歌われるヘルビムの歌が代表的なものだが、領聖詞(「ハリストスの復活を見て」など)や「聖なる神」などもこの形式になる。あなたがもしアテネなどで日曜日に教会に行く機会があって、10時ごろから2時間ほど座ったり立ったりしていられるのなら、ギリシャ人のおっさんが顔を真っ赤にして民謡大会のように歌声を張り上げているところを見ることができるだろう。
ギリシャ語も一つの単語が割と長い言語だ。たとえば「叫んだ 」e-ke-kra-ksaは四音節になる。一つの音節が一つの音に対応していても、歌は割と長くなる。
日本語の歌も、もしビザンチンと同じ分類を当てはめることができるのなら、ほぼ例外なくイルモロギカに分類されることになる。
ところが英語の場合にはとても難しい。音節が一つの音符に対応している。それはその通りなのだけど、ほぼ一つの単語が一つの音符対応しなければならない。growthみたいな単語だと「グローーウス」と一つの音に乗せて発音しないといけない。中で母音も変化し、前にも後にも子音がくっついている。重要な音符を発音する際に、単にそれにアクセントがあるというだけではなくて、そこに配置される重要な単語をきれいに発音するということが求められる。