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人々は本当に分かり合っていない・・・

昨日、ロシア極東からのお客様がやってくるイベントが開かれ、ロシア語を教えてもらった国際交流員さんの案内で参加してきた。

準備をされた皆様には、その労を讃えたい。

 

正直、自分としてはこの大斎のスボタ(土曜日)にパーティーがあって、ロシア人はピロシキにミンチではなくて鮭を入れるのだろうか?というようなことを考えていた。ギリシャ人は魚も今のシーズンは食べないのだが、以前から知り合いの革命で亡命してきたロシア人たちは大斎に魚を食べたのである。

しかし、実際には用意されたものは手巻きずしとおにぎりを作ってみようということのようで、私の考えていたようなことを考えていた人は、多分誰もいなかった。日本側にも斎だからソーセージはやめてサバと鮭にしようという人はいなかったし、ロシア人も何も言わなかった。

 

ロシア人たちは感じの良い人々で、日本に対しては非常に好意的に思っている人々だった。

自分は耳がつぶれているのを見つけられて、柔道好きの人からいろいろな話をされた。

 

パーティーの宴の中で、ロシア国歌を聞きたいという人が出てきた。外国の人にとって国歌は当然尊敬を集めるべきものだ。その場でも、ロシア人たちはすぐには歌えないということで一度乾杯をし直してから歌ってくれた。次にロシア人は日本国歌を歌ってくれと要求したが、私たちにロシア語を教えてくれた通訳役のロシア人の傍らにいる人が、日本国歌は良くないといって、延々といわゆる自虐史観をロシア人に語り始めた。その通訳の人は、なぜなのかということをとても疑問に思っているようだった。

自分は、外国にいろいろ行った。合唱団などを連れて外国に行ったこともあって、国歌を歌えば周りの人たちが帽子を取って聞き入ってくれる。日本人が君が代が良くないと考えているというのは、いわばとても奇妙なことだ。私もこちらから要求しておいてとても失礼なことだとは思ったが、会の中で誰がどういう役回りをしているのかわからなかったので黙っていた。

一方で、ロシア語を積極的に勉強しようというような人は、往々にして共産主義思想などに傾倒した所謂インテリ層だったということも現実にはある。君が代反対運動は共産党で販売されているからある意味当たり前と言えば当たり前だ。

そもそも、当のロシアはかつて共産主義国家だったのだ。私が以前にあった亡命ロシア人と今のロシア人が一緒であると期待することが難しい面も当然あるだろう。

 

カチューシャを歌うのはいいのだ。カチューシャはロシア民謡と言われてはいるが、正確にはソ連の戦争歌謡だ。日本でいうと「勝ってくるぞと勇ましく・・・」みたいな位置づけの歌で、ソ連軍がパレードするときに流されている映像がある。

あるいはバレーのくるみ割り人形は別にいいのだ。

しかし、同じチャイコフスキーの曲があるからといって「わが霊や」を歌うわけにはいかない。戦後の日本は様々なところに暗黙の線引きをしていて、それをすることはタブーになっている節がある。

 

たとえば学校でもいろいろ音楽鑑賞があって、テレビでも様々なクラシックの音楽番組を見て、モーツアルトの曲ならアイネ・クライネ・ナハトムジークも知っているし、トルコ行進曲も、フィガロの結婚も知っているという人は沢山いるだろう。少なくとも私はそうだった。

だが、戴冠ミサのアーニュス・デイは聞いたことがなかった。あんなすばらしい曲なのに?そう、学校やテレビではそれは放映されないのです。多分それが宗教だからだと思う。

しかしその部分を知らずに、西洋音楽を理解することはできないし、ロシア人と交流することも最終的にはできないだろう。

 

賛否はひとまず脇に置いておこう。お互い知らないことが多すぎるのだ。そして、理想を高く持つこと。繰り返しになるが、こういう機会を作られた方を讃えたい。

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