いいおっさん・・・女性ならいいおばさんということになるか・・・になる。いいおっさん、そういう年齢になった。
人生でこれができる、これができないという可能性が見えてくる。可能性というか、言葉を変えれば限界といってもいい。
自分に納得させる。最初からそれが出来れば、何も悩むことはない。若いときにいろいろ考えあぐねて、なるほどこうだった、こうすればよかったということに行きあたるのは、いいおっさん、いいおばさんになってからだ。しかし、「こうすればいい」ということが本当になされるべき時は、10代だったり20代だったり30代だったりする間、限界が見えない時だ。そのときに迷ってないで、無理にでも押してもらうことができれば、それに越したことはない。
もし最初から、そういう環境にあって、嘘でも押し続けてくれる人がいたら・・・
いやまあ、だからの救世主だということはわかっています。誰もが彼を待っていた。
大変なことだし、お前一人神に特別に目をかけてもらうことなど期待できない。
こんばんは、ネコです、
そうですね、限界がまだ見えない時に、無理にでも押してもらうことができれば、押し続けてくれる人がいたら、、、そうですね。
なんとなく解ります。
昔、まだ私が若かった頃、
私が在学していたある学校に後から入ってきた社会人の研修生で一人のリーダー的存在の人に出会いました。
その人は斬新な考え、新しい生き方、本当にすばらしく見えました。、
社会に出たことのない若い私でしたしね。
頭の固い(若い私にはそう見えた)うっとしい教授達、なんの意味も価値も無い学校、
私はすっかりその人に洗脳(大げさですが)されてせっかく入った学校を後にしました。
その後、いろいろ忙しい生活を送りながら、いつもそれを思い出し、
辞めなければ良かったかもしれない、、あれは何だったんだろう、、と。
その後、20年ほど経った頃、そのリーダー的な人に会う機会を得て私は会いに行きました。
その当時の事を話して見たかったのです。
向こうも私が何を聴きに来たか、多分解っていたと思います。
そこでね、彼はこう言ったんですよ。
「あの時は、俺も若かったなあ、、 」
!!
、、、まあ自己責任だと言えばそれまでですがね、、。
(私以外にも、洗脳されて学校を辞めた人いたんですよ)
私も年をとって、近頃、よく思い出します。
あの時、あの人に会わなかったら、
あの時、あの学校を辞めなかったら、、。
今頃どうしていたんだろう、。念願の〇〇になっていたんだろうか?
あの時、無理にでも押してくれる人がいたら、、。引っ張ってくれる人がいたら、、。
世間ではよく言われます「やり直すのに遅すぎることなどない」と、、。
でも、やっぱり限界があるんですよね。
体力的にも無理なものは無理です。
こうなったのも
奇しき神の大いなる御旨なのかもしれないけれど、、。
ネコさん、こんにちわ。
何か、大きな投稿をいただきましたね。
自分が書いていることが矛盾しているとわかっています。
若いときには「こうなるべきなのだ」というビジョンが欠けている。
一方で、ビジョンが欠けた状態であっても、何かをやり続けるということを誰かに後押ししてほしい。
両方叶えるのは無理だ。
ただ、まあ私自身がこの記事で書きたかったのはこの世の成功の話ではありません。あの世の成功の話です。一通り違う真実があるというところまで辿り着くのでさえ大変なのに。