自己に変化を起こす強い願い、それは感情のものだ。
「何かをしたい」ということは、人間のそれぞれのレベルで起こりうる。たとえば食欲もそうだろう。考えた末こうしないといけないと思ったということもそうだろう。
しかし、思考の決定というものは人生を根底から変えるようなものには普通はならない。強い気持ちを持つということ、強い願いを持つということがどうしても必要である。
その強い感情、強い気持ちというものは、物質なのだ。人間の中で生成される物質の中では感情はとても高いレベルの物質である。人は霊的なことを否定しながら物質がすべてみたいなことを言いながら、肝心要の自分のことになるとそれが物質であるということを否定する。霊なら霊と呼んでもいいかもしれないが、要するに飯を食ったり呼吸をしたりお勉強をしたりして、最終的に自分の中に形成されるものなのだ。
もしそうであるならば、それは立派に、十分に形成されなければならない。
多分、強い気持ちを持つということ自体が、果物の木や野菜を栽培するようなものなのだと思う。売り物になるような立派なものを収穫するためには、肥やしをやり、虫を取り除き、雑草を刈り、お互いに陰を作るような枝を剪定し、助けの支柱を立ててやり、さまざまな手入れの後に立派な実を収穫することができる。
健全な生活をしなければならない。紙に書くとか、助けになるものを用意しなければならない。エネルギーが分断されないように複数の矛盾する願いは整理して、実現したいものに集中しなければならない。そして十分に強い願いを手に入れることが出来れば、その願いは実現したも同然なのだ。