今、5年ほど前とは全然違う生活をしている。違う習慣、違う食べ物、違う行動、違う乗り物。仕事はある意味一緒だけど、でも違う。
何かの拍子にその5年前ぐらいのことを思い出すと、不思議な感覚にとらわれる。これは、同じ人生なのか。これは私なのか。
ある状況にあるときに、こんな生活もあるかもしれない、と思い描くことができない。もし、「この可能性がある!」と思っていれば、その生活に向けて一歩を踏み出すことができるはずだ。
しかし、実際にはなかなかそういうことができない。
絶望的な状況というのは、将棋の詰みに似ているような気がする。自分の思いや希望といった心の中の要素も含めて、身動きが取れないようになっているのだ。右に動けば金にとられる。下がれば飛車にとられる。前に出ると角にとられる。
羽生さんや里美女流のやるような将棋では、前に出れば必ず角にとられるでしょうよ。ところが、現実の人生では前に出てみたら、案外相手も取りに来なかったりすることもある。抜け穴が作れることもある。
何よりも、自分の心の中に、大きな縛りがあることには気づかない。「自分は音楽家になる」と決めていて一生懸命やっている人は「大工になったらうまくいった!」という結論が待っているかもしれないとは思わない。あるいは、東京でダメでも鹿児島に行ったら同じことがうまくいくかもしれないとは思わない。
そういうときに、毎日できる小さな祈りみたいなのがあるといいと思う。継続と「必ずうまくいく」という根拠のない信念みたいなのがあれば、詰みになっているはずの手から、抜け穴を見つけ出すことができると思う。