もし仮にキリスト教でもイスラムでも、新しい宗教が日本に布教するような場合、一つの問題は既存の死者、いわゆる「ほとけさん」をどうするかだと思う。
日本の宗教の場合、死者の扱いというものが大きな割合を占める。お寺さんは江戸時代には戸籍や過去帳の管理を行っていた。
法事というものはどうなるのか。三回忌はどうなるの?
戦国時代に布教した西洋の宣教師は既存の死者に対して「お前のおじいさんはキリスト教を信じていなかったから地獄に行く」という態度だったらしい。
しかし、問題は「じゃ、お前そんな偉そうなことを言っていて、俺の爺さんが地獄に行ったのが見えるのか?」ということ。
ああ、この人は一応怨念とか苦しみとか残さずに、一応安らかに次の世界に行ったなとか、こいつは苦しんで死んだからお水ぐらい備えてやらないと、というようなこと、あるいはどこに行くのかちゃんとお導きがあるように地蔵さんや観音さんにお願いするというようなことがある。それは仏教の教義的に仏になったから修行者に供養するというだけではなくて、死者に対する具体的な何かとして日本では受け取られている。
一応そうしたものに対して「これで最善の方法になっているのだから、あんまり心配しなくていいぞ」ということが言えないと、なかなか日本で新しい宗教は広まらないだろう。