キリスト教では悪魔がいる。それはもともとは神の側近である天使だった。神は自分の憐みに目をつぶり、彼を追放した。なぜそんな話があるのだろう。
LiLiCoさんが、なんでもボディビルをやりたいということで、2か月半後の大会に出るために特訓しているらしい。それはたまたまついていたテレビでやっていたのである。そして映画のコメンテーターと立場を利用して、ハリウッド俳優・カリフォルニア州元知事であるアーノルド・シュワルツェネッガー氏に新作映画のインタビューの最後にボディビルの大会に臨むにあたってのコメントを求めた。
自分は彼がボディビルから身を起こしたのは聞いていたが、世界大会で前人未到の6連覇を成し遂げた人物であるというのは、初めて聞いた。そして、LiLiCoさんに対する答えも本物のチャンピオンらしい真摯なものだった。聞き覚えだから正確ではないかもしれないが、こんな感じだった。
「女性でボディビルの大会に出るというのなら、犠牲にするものも多いだろう。あなたが何を求めるかが最も大事だ」
「勝つために出るんだろ?きちんとした戦略を練って実行することだ」
LiLiCoさんは、おそらく具体的に何かすべきアドバイスがもらえるのではないかと思ったのだろう、この2か月何をするべきか、というような質問をしたが、シュワルツェネッガー氏は近道はない、訓練は嘘をつかない、と言った。
自分は彼の最初の思いやりに満ちたひと言、「女性なら犠牲にするものも多いだろう」という言葉に惹かれた。そして、悪魔の秘密を見たような気がした。
何もかも保持することはできない。犠牲が必要になる。
女性であれば、美しさのようなことが重要な場合もあるだろう。40代半ばともなれば、健康に気をつけるべき点もあるだろう。家族や周囲の人間との関係も断って、訓練のために時間を割く必要もあるだろう。この期間訓練の時間を割くために、どうしても会っておきたいような人とアポイントメントを断らなければならない。そのアポイントメントを断って、その後の非常に重要な決断が左右されるかもしれない。
しかし、ボディビルで優勝するためにはそうしなければならないのだ。そして優勝することができれば、そのできなかったことに対して多分お釣りがくるぐらい得るものがある。
LiLiCoさんはテレビの中の話だ。何か人の話として聞いていることもあるだろう。しかし、問題は我々の人生だ。なぜあの人は大金持ちで、私は貧乏なのか。なぜあの人は有名で私は無名なのか。なぜあの人はあのような達成があるのに、私にはその達成がないのか。多くの人がそういう感覚を持っていることだろう。
シュワルツェネッガー氏はそうしたすべてを得ることに成功した人の一人だ。
おそらく、一つの目的に対して、それを達成することができたから。その時に成功した人は語らないが、必ず犠牲にしているものがある。それは、決して心地ものではないかもしれない。しかし、多分そのように犠牲にすべきものを犠牲にした人が、得るものを得ているのだ。そして、いったん得るものを得れば、犠牲にしたものもまた戻ってくる。