本年もよろしくお願い申し上げます。
本当は「今年はこうします」的なことを書くべきなのだろう。だけど、占星術的進歩に関しては、決めきれなかった。去年は、自分や他人についてプログレッションで予想していたことがちゃんと起きたので、それなりに意味のある結果が出たのです。
新しい年を迎えるにあたって手帳に星のことを書いておこうと思った。満月とかはカレンダーに書いている。ボイドとか、トランジットとか。
トランジットって言ったって、どうかくのだろう?自分はトランジットをいままであんまりやってないのです。ごめんなさい、みなさん・・・・
天王星なら天王星をソフトで出して、自分のネータルのホロスコープと突き合わせて、いついつごろにどれとトラインになるとか、書きだせばいいのだろうか。そのようにして検討されるべき星は、冥王星、海王星、天王星、土星、木星、火星・・・どこまでやればいいんだろうか。
それで、プログレッションでやっているように、全部エクセルで書きだしたらどうだろう、と思いついて正月プログラムしてみた・・・・我ながら、アホとちゃうか。正月から何をしているのだろう。それも、最初にアストロロギアのデータを並べてコピーしておいて、それで何日にどれが正確なアスペクトを形成するか割り出すのだ。
一応ソフト的にはできた!すばらしい。しかし、1年出すのではできないので、1月分だけ作ってみたり、そのようにして出てきた結果が信じきれなかったり、去年の12月がどうなっていたかとか、いろいろ眺めまわした。
う~ん、ひょっとするとドラゴンヘッドは顕著な影響があるのかもしれない。もっと追いかけてみないとわからない・・・
自分は自分がサービスで提供している技法については、自分の側でも裏を取っているつもりです。きっとこうなる!自分としては100%当てるつもりでやっている。しかし、そのようにしてやっている技法も、実は占星術全体の世界から言えば、広大な世界にほんのちょっと素人が足を踏み入れた程度なのだ。
それに、最終的にデータ的な判断ができるということが占星術の目的だということは、自分にはあまりよくないことのように思える。その点こそが、教会が占星術を嫌う理由として唯一納得できる点だ。目の前の世界がリアルなものとしても見えるということと、占星術は一致していなければならないのだ。
それやこれやはあるわけですが、ぼちぼちやってみるようにします。顕著な何かが出てくれば、「そんなこと知っているよ」と仰る方もあるかもしれませんが、ご紹介するようにします。
明けましておめでとうございます。
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。
穏やかな気候に恵まれた正月のようですが、反面、
悲惨な交通事故が年末から多いように思います。
このようなことも占星術上に現れているのでしょうか?
私は、占断して頂きまして、昨年は厳しくも当たっていましたね。「当てる、」という表現ですと何か当て物かなにかに聞こえるけれど、本当に仰られる通り、広大な宇宙の世界、広大な占星術の世界を覗かせてもらった、そんな気が致します。
「最終的にデータ的な判断が出来ることが占星術の目的である、のは良くない気がする。」
自分もそう思います。最終的にデータ的な判断をすることは間違って無いと思うのですが、
それは目的というのではなくて、あくまでも大いなる者の意志を訊く、訊ねる、そして、出来ることならこの運命を避けられるのならば、取り除いてほしい。そんな世界のような気が致します。
ラザロの復活のように、、。しかし、あれば祈りの結果であったと思う。教会は、安易な方に走ることを嫌い、神への忠誠心の無さを思い、占星術を禁止したのだと思います。
さて、私の今年の占断は、なかなか厳しいものがありますが、それがどこまで、神の御心であるのか
どこまで祈って行くことができるか
そして、結果、やはり当たってしまった。
その時は、やはり覚悟して受け入れて、神の祝宴に
呼ばれて行くしかない。こんな光栄はない。
ネコさん、こんにちわ
コメント中色々あるわけですが、交通事故についてお答えしますと、過去の例ではそれを示すものは大体ありました。
その表示星は大体水星であることが多いのですが、今年の正月には水星と火星がちょうどスクエアになる時期になっていました。
また天王星・冥王星のスクエアに対する太陽の合とか、土星と金星の合とか、ホラリーの見方で見たときに事故が起こりやすい配置というものはあったと思います。
しかし、物理的な原因として、今年はことさらに晴れているというのもあると思います。みんな飛ばしているんです。
これは別に記事にします。