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命令 (2)

こころ、mindというものは、通常言葉で出来ている。日常生活で言葉で行う活動を反映している。その多くは対話である。私たちの内的対話、繰り返される言葉がこころである。

しかし、言葉というものはそのように使われるだけではない。叫ぶこともできる。命じることもできる。

 

自分は小学校・中学校の時に、とても大きな声をしていた。声というのか、声を出した時に、力を発するやり方を知っていたと言ってもいいかもしれない。そういう係りがめぐってきて「気をつけ!」などというと、自分の学年だけでなく全校の生徒・・・中学校なら4~500人いただろう・・・が、ビクッとして気をつけをした。

その後の人生で、特に他人に対して大きな力を持って何かを命じる、などということはあまりない。子供が危険な状況にあるとか、警察や消防の上の立場に立つとか、夫婦喧嘩みたいなものとか、そういうときぐらいしか、なかなか感情を伴って他人に言葉を投げつける、みたいなことはないのが普通なのかもしれない。

 

思考を常に、疑念とか推論とか不安とかイライラとか、そういうものから解放させて、違う命令を設定する。そうできないだろうか。決まりきった思考に陥らない。常に向こう側に向けて自分を飛翔させる。

 

気が付くと、いつも自分は・・・多分他の人も同じことだろうが・・・こころを考えることに使っている。そのこころの考えることというのは、内的対話であり、「こうすべき」「ああしたほうがよかっただろうか」「次にああして、こうして」「多分こうなるが、こうなったらどうか」というようなもの、つまり疑念とか正当化とか不安とかと切り離して考えることのできない内容なのだ。

 

もし、こころを常に命令に使ったらどうだ?校庭に並んだ500人だか1000人だかの人間が全員ビシッと整列しなおすのと同じぐらい大きな声で、自分自身に対して命令を発するのだ。

人生でそうするの、いいかもしれない。大声で実際に声を出していたら、これは馬鹿みたいだが、それでも「出発、進行!」「右向けー右!」「ライダー・・・キック!」みたいにするわけだ。人生で自分がいままで、内的体ををするように訓練されてきたのを、命令するように訓練しなおすわけだ。

「必殺技叫びイズム」みたいなの、わかるような気がするなあ。マジンガーZもそうだったし、日本アニメオマージュの「パシフィック・リム」などもそうだ。お前らウルトラマンみたいに黙って戦えよ・・・しかし、叫ぶことにはそれなりに意味があったのだと思う。

ものすごくおおざっぱに言って、ちゃんと信仰している人って、多分そうなんだと思う。あなた方が祈ることはすでにかなえられたと思え、というわけでしょ。

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