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命令 (1)

ギリシャ語という言葉は面白い言葉で、命令形に三人称がある。

たとえば、「逃げろ」なら通常φεῦγεということになるだろう。これは主語は古典語でいうσύ、英語でいうと古い言葉でthyということになり、要するに二人称である「あなた」に対して逃げろと命じるわけだ。英語では「run!」ということになるだろうが、ギリシャ語では他の多くのヨーロッパの言語と同様、単数形と複数形の違いなどは存在する。

ところが、それだけではなくφευγέτωみたいな形があって、これは三人称を主語にとる。「それは逃げるべし」みたいなことを言うことができる。「逃げるべし」と「逃げろ」にはそれでも微妙な違いがあって、「逃げろ」はまさに命令であり、意志の発露がそこにある。「逃げなければならない」ではないのだ。

 

キリスト教の主の祈りというのは訳すときに難しい側面があって、ギリシャ語の文法が必ずしも他の言語に一致しない。そうしたものの一つにこの三人称の命令形もある。一般に「御名が崇められますように」、正教会で「願わくはなんじの名は聖とせられ」などと訳されている部分などが、この三人称の命令形を使っている。

ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου.(あなたの名前は聖なるものとされよ、されるべし)

 

普通に考えて、一体どういう場合に三人称の命令形なんか必要になるんだ?そういう風に思ったこともある。

 

だけど、実はこの使い方が理にかなっているように思えてきた。

つまり、あなた自身が、特定の誰かにではなくて、世界に対して、自分の感情とともに何かが「こうあれ!」と命じるということがあるべきなのだ。これは通常は「祈り」などと呼ばれる。こうなってください、ということなのだけれど、そこで命じられているものは必ずしも「あなた」ではない。「神様、このようにしてください」・・・ま、それでもいいのだけれど、別にそこに神様がいて「ほい、わかったよ。やったげよう」と言ってるというわけでは必ずしもない。なんとかこうなりますように。こうなれ。そういっているわけだ。

それは意図することであり、命令することである。

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