以前友人と話をしていて、次のような話を聞いた。
夫婦だかカップルだか、そういう関係の方がいらっしゃった。ところが何かの占いで、このご主人はある日付で死ぬと占われた。詳しい経緯はわからないが、その占いはとにかく信憑性があるものだったのだ。
ご婦人はなんとか大切な彼を長生きさせるべくありとあらゆる手を打った。それが、色々な食事なのか、外出させたり空気のいいところに連れて行くことなのか、神仏に祈願することなのか知らないが、できることはなんでもやった。
そして、このご主人は占いが予言した日のちょうど10年後の全く同じ日に亡くなった、と友人は話してくれた。これが誰かから聞いた話なのか、テレビかどこかで紹介された有名な話なのかは知らない。
しかし、自分も最近似たようなことを経験した。
占い師などというのは因果なもので、別に知らなくてもいいようなことがふっとわかってしまうこともある。
去年の星で、多分この人には何か起こる、と思っていた人が倒れ、絶望的な状態に置かれた。自分は、誰彼に話すわけではないが、占星術上の判断としては、その人は昨年のうちに死ぬだろうと思っていた。
ところがこの人は死ななかった。奥さんとその家族が献身的に看病したのだ。とはいえ、この人は自分で動くことも話すこともできず、食べることもできない状態で、奇跡の回復を願う周囲の願いとは裏腹に、死が訪れるのは時間の問題のようにも見えた。
とにかく占いとしては外れた。星が間違っていたわけではないのかもしれない。倒れはしたわけだから。しかし、予期したことにはならなかった。
そうすると、あの話と同じように、1年後、倒れたのと同じ日に死ぬのだろうか?
この人はつい先ごろ亡くなった。なんでも、その日は彼が出入りしていた店のマスターが1年前に亡くなったのと同じ日だったと後で知った。彼は音楽家だったのだ。倒れる前、彼はその店のマスターがなくなったと知って、その代わりを務めて店を盛り立てようと頑張っていたのだった。
いずれ、私も死ぬ。誰もが死ぬことにはなる。しかし、それは漫然と死ぬというわけではなくて、やはりその人にはその人なりの理由を見つけて死ぬことになるのだろう。その時には、運命も、ちょっとだけ日付をずらしていたずらをすることがある、ということなのだろう。
私は、約20年前に、ある占い師から、
「あんたの寿命はもうちょっとだけやな」と言われた事があります。ビックリしたけれど、死ななかった。もうちょっととはいつか?
その占い、それは季節は初夏、ということは、年が違っても日にちは、同じということは、もう間もなくか?
誰もが必ず死ぬ。
ここ最近、私の知人の友人が急死した。突然、外出先で大動脈破裂の急死。ドクターヘリや警察、大騒ぎとなったが、助からなかったらしい。
また、別の知人の知人。旅館の 露天大浴場で心不全の急死。二人とも大変、お元気な人だったらしい。
この方々、占星術で視たならば、何かが見えたのだろうか?
そして、この人達は、管理人様が書かれておられるように「その人なりの理由を見つけて逝かれたのだろうか? 」
立て続けの急死。
人は誰も自分が急死するとは思っていないだろうと思う。漠然とは解っているつもりだけど、それが明日だとかは、思わないだろう。
私も、それがいつかは解らない。神はそれを知ることをお許しにならないようですね。
私も、、(良いんですけどね、)もし外で急死したら、、、。
部屋の後片付けは誰がしてくれるのだろう?
外で倒れても良いように、身繕いもしておかなくては、、。(笑)
そして、神様が祝宴を開いて待っていて下さるらしいので、それに備えなくては。
そして、神様は大変いたずらがお好きらしい。
歳をとってきたせいなのか、私も「突然死」が気になります。癌で亡くなる、というのはとても幸せな事に思えてきました。準備ができるから。
今自分が急死したら、保険会社の連絡とか、諸々夫には無理。息子はまだ中学生だし、妹や弟あたりにいろいろ話したおいた方がいいのかも?とか、書き残して置くべきか?とか、たまに考えます。
自分の死期は、知るのは怖いけど知っておいた方がいいのかもしれませんね。
でも外れるのかf^_^;しかも季節だけあたってたりすると毎年その時期に緊張しなきゃですしねぇ、悩ましいですね。
あめ さん、
私も、ある意味でそう思います。
「癌で亡くなるというのは幸せなことに思えて、、」そうですね、
実際に癌になられた人には、怒られるかもしれませんが、そして、とても厳しいことだとは思いますが、死を意識して生きることができると思います。
急死は、回りの人をとてもビックリさせますが、
その一方で、こんな声が聞こえてきました。
悲しみのあまり出た言葉であるとは思うのですが、
「年取って、寝たきりになって死ぬより良かったんだ、」しかし、どうなんだろう、
急死することと、寝たきりになって死ぬことと、
人間としての価値は変わりないのではないだろうか ?
私は、急死したら、教会で葬儀をし、教会の墓地に納骨するように身内に伝えてありますが、その他のことはまだ、、、。
ネコさん、「年取って寝たきりになるより・・」は、自分自身の悲しみを納得させるための言葉でしょうね、きっと。
寝たきりだろうがなんだろうが「天命」は生きなきゃかな、と思います。が、本来の寿命を医療の力で変えてまでは、とも。でもその「延命措置」で生きながらえること自体も天命に含まれているのだとしたら?等考え出すときりがないです・・・。
どこでどんな葬儀してどこに葬られるか、は身内に話しておかないとですね。うちも夫は三男だし菩提寺等決まってないので好きに選べるんだよなあ。
実家の両親も父が次男&弟が未婚なので、あるお寺の合同の墓に納めてくれ、といわれてます。
父母で信仰する宗派が曹洞宗と真宗大谷派で違うけど、どっちにしたんだろう、それすら確認してませんでした・・。
片方が亡くなるとき片方の意識が明瞭とは限らないから、親のことも確認しなきゃですね!!
みなさん、こんにちわ。
私の今住んでいる家では、私が生まれてから長く葬儀がなかったのですが、ここ10年で3回の葬儀を経験しました。
長寿のものもいたし、短命のものもいました。朝まで元気だったのに1時間ほどの間にスッと逝ったものもいるし、ずっと病んでいるものもいました。
いずれの場合も予兆のようなものはあったと思います。あるものは「自分はもう死ぬのか」と聞きました。あるものは、死ぬ直前にパワーストーンが切れました。
うちはガンの家系ではないので家族にはガン患者はいないのですが、ガンで死んだ方と親しくしていたこともあります。現在の世では正直なところこれは大変だと思います。ずっと抗がん剤などで七転八倒の苦しみを味わわなければならない。それと、ガンの場合には死ぬ直前まで意識があることが多いようですね。痛くなければいいのですが、どうも痛そうです。
死に方は、その人の生き様を反映する。ある人はコルベ神父のような劇的な死を望むかもしれない。教会に行っていたある人は死ぬ前に家族の名前を一人一人呼んで、大きく十字を切って亡くなったと仰っていました。
ガンがいいとおっしゃるならそれもひとつかもしれませんが、そんなに違いがあるものでもないとは思います。
痛くて苦しいのは確かに困りますね。ただ、癌で亡くなるのが痛いのではなく、抗癌剤でなくなるのが痛いのだ、と聞いたことがあります。これから色々な事が議論されて、終末医療が充実したらいいな、と思います。
まあ何にしろ、自分が亡くなって何か困る事がある人は早めに手を打っておいた方がいいのかも?
自分は専門家ではないからわからないですけど、一定時期まではガンでも痛くないのは本当だと思います。
ただ、最後は痛くはなると思います。
自分も遺言を書いておくべきなのか、とも思いますが、遺言を書くほどのことがまだ人生で出来てないという思いが強いです。もう少し頑張って、でも途中でなんかあったらゴメン!としかいいようがないですね。