日本柔道が銅メダルを量産している。昔、フィギュア・スケートのサーシャ・コーエンが銀メダルばかり取っていたので「シルバー・コレクター」などと呼ばれていたことがあったが、さしずめ日本柔道は「ブロンズ・コレクター」というところだ。
ニュースでは、蓮舫さんの「二位ではダメなのですか」をもじって、「銅ではダメなのですか」という論調が見られる。柔道の選手は銅メダルを取ると、一様に「金メダルが取れなくて悔しい」という。金以外は同じだとか、金メダルを目指してやってきたのでとか、とにかく彼らの意識の中では銅メダルではダメなのだ。
たとえば水泳や陸上で銅メダルだというと「快挙」と報じられる。福原愛選手がベスト4まで出たけど、彼女ももしメダルを取れば、たとえそれが銀メダルや銅メダルだったからと言って叩かれることはない。準決勝を勝ちでもしたら、多分お祭り騒ぎだ。
一方柔道は日本発祥のスポーツで、日本はかつてのように勝って当たり前という目で見られるから、というわけだ。
しかし、それだけだろうか。
例を挙げて悪いんだけど、松本薫選手は、事前のオリンピック選考会で一本負けだった。
これ、勝った側の選手の気持ちになってみてください。オリンピックの最終選考会だ。そのときに前回オリンピックの金メダリストに一本勝ちした。本当は今の仕組みではこれだけではオリンピックには出られない。国際試合に出て、一定のランキングを獲得しないといけないとか、そういうことはある。あるけど、前回オリンピックの覇者に勝ったんだよ!?それで、なんでオリンピックに出られないんだ?
結局、今までの実績とか何とかで、「たまたま今回勝った選手は強い選手ではなくて、国際大会で安定した成績を残しているこの人なら今回は負けたけど金メダルが取れるはず」という柔道連盟の判断で選手は選ばれる。松本選手もそうだし、海老沼選手もそうだ。だから、彼らは金メダルを取って当然なのです。そして、その選考や旗振りをしてきた人は、わいせつでつかまったりしてるやつだ。自分も柔道をやってたからそういうことを言いたくないけど、実際そうじゃないですか。
国際ランキングにしたって、そのランキングに入るためには国際試合に出ないといけない。ところがどの国際試合に誰が出るかも柔道連盟のさじ加減で決まっている。直前の大会で負けた選手でも、指導者がこの選手がいいと言えばその選手が出るのです。
だから自分は松本さんとか海老沼さんとか、最初から勝つとは思っていなかった。
勝てるわけないんじゃん。予選でぼろ負けしてんだよ!
たとえば誰かが、ロシアとかフランスとかブラジルの道場で、さんざん腕を磨いてきて、何かの都合で日本にやってきて日本国籍もあるとする。場合によっちゃ黒人だったり、白人だったりしてるかもしれない。見た目は。でも、彼は合同練習には出ていない。そうすると、そういう選手は日本のオリンピック代表に選ばれることがあるだろうか。
柔道の場合は難しい点があって、相手がいて、何人かが一緒に練習していないと、強くなることができない。だからある程度合宿とかにはでないといけないという規則はありかもしれない。ただ、それでも日本ほどの環境が整わない国でも、メダルを取ってる選手は取ってるんです。
閉鎖的なんじゃないか。もっと自由でもいいのでは?今はたとえばキューバやフランスやロシアから指導者や選手を国内に招いたりしてもいいと自分は思う。相撲を見てみろ。国技だなんだと言いながら、モンゴルやハワイやヨーロッパの選手が活躍しているじゃないか。それこそ「ウラジオストック合宿」みたいなのがあったっていいと思うんだ。柔道連盟の重鎮にトメノフか誰かを呼んだらいい。
それで、さんざんお互いに腕を磨いて、最終予選に何とか間に合ってそれまで有力と見られていた選手を投げ飛ばして、「実力未知数、銅メダルでも仕方がない」選手として出て、銅メダルが取れれば素直に喜べばいいと思う。
2大会連続金メダルを取った体操内村航平。おまけに悲願だった団体金まで取った。反面個人で結局メダル取れなかった福原愛。絶対運あるよなぁって思います。
りんねさん、こんにちわ。
運はあるにしても、内村さんと福原さんと比べるのはどうでしょうかね。
福原さんは、中国にわたって修行したり、開拓者としての功績はあると思っています。
今回寺本さんが女子で8位に入ったのも、今までの積み上げがない中で立派だと思う。
夏のオリンピックに関係ないですが、たとえば今でこそフィギュアスケートは表彰台を独占したりするようになりましたけど、当初渡部絵美さんみたいに出ても入賞がやっとという人も、周りに誰もいない中で取り組んだという意味では素晴らしい。
中々単純比較はできないんじゃないでしょうか。