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方言を喜んでる場合ではない (3)

こういう言い方をするとご批判もいろいろあるだろうが、日本語、日本文化というものは、自分は将来的には残らないだろうと思う。

 

ギリシャ語にはあまり外来語がないということは、以前ブログにも書いた。ロシア語の場合、古くはギリシャ語、最近では英語やヨーロッパから多くの外来語が輸入されているが、そうした言葉の多くはロシア語に溶け込みロシア語の活用で話される。たとえばロシア語ではインターネットはインテルネットだが、インテルネッチェとか活用はする。ギリシャ語ではヂアヂクティオというような言い方をする。ネットはヂクチオでインターはヂアだというわけだ。

いずれにしろ、彼らの文字の中で書かれ、彼らの発音の中で口にされる。

 

だが日本語は違う。ニュースなんかを見ていても「これはビッグディールだ」「リスペクトするわけであります」とか、もう聞いていて訳のわからないカタカナ語が「日本語」として使われている。

そこで「これは大きな取引だ」「尊敬いたします」と言ってはいけないのか。なぜそこで、多くの国民が学校で習わない英語のカタカタ語を引っ張ってくるのか。新しく習う人は、「ではリスペクトとはどういう意味ですか」と聞かれたら、英語ではこうだった、ラテン語ではこうだったと、行ったこともない遠い国の全く知らない人の話をしなくてはならない羽目になる。

 

しかし、ここで考えてみると、そもそも「取引」とか「尊敬」も外来の文字を使って表現された言葉である。漢語なのだ。

 

ある意味において「これが日本語だ」というものはない。

ロシア語、スラブ語とキリル文字の成り立ちというのは、日本語の成り立ちとは全く違う。そもそもスラブの言葉を話している人が東ヨーロッパに存在していて、キリロスとメソディオスというギリシャ人がキリスト教を伝えるために、わざわざスラブ語のために文字を考案した。そしてギリシャの習慣となっている祈祷をすべてスラブ語に翻訳してその習慣をまるごとスラブ圏に輸出するという手順を踏んだ。だからロシア語はロシア語なのだ。たとえばインテルネットが外来語でやってきても、ロシア語の根本が大きく崩れることはない。

日本語は外国の言葉をそのまま輸入しては、座布団のように元の言葉の上に重ねてきて、いまだに飽き足らずに新しい言葉をどんどん積み重ねて行っている。

方言がきれいに聞こえるのは、そういう新しい座布団の積み重ねではなくて、生活の中で醸成された言葉だからだ。だからといって、それで喜んでちゃダメだと思う。

 

で、どうしたらいいのか。すみません、わかりません。韓国みたいにハングルだけにして漢字を廃止するみたいなことをすればいいのか。

ただ、これは問題提起です。

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