トランプ大統領が選挙の開票結果を受け入れず、延々と不正があった、裁判をする、最後は自分が勝つと主張している。
これについて面白い記事があった。これはトランプ大統領の宗教によるものだというのです。
トランプ大統領はカルヴァン派の一派である長老派で、カルヴァンの唱えた予定説を信奉している。これは、神によってえらばれる人は事前に決まっていて、いかなる行為、いかなる努力も関係ないというものである。
自分は、大体聖書を読んで、聖書の中で考えて、そのあともともとに近いものが良いと思って正教に行ったので、プロテスタントの派閥というものには無関心だった。やっと最近わかってきたが、教科書に出てくる、長老派、清教徒(ピューリタン)などが、みなこのカルヴァン派、予定説を信奉するグループに含まれるらしい。今はアメリカはカトリックや色々な宗教が混じっているが、大雑把にアメリカのキリスト教はこの流れだということになると思う。
記事の中にあるが、どういう行動をとろうが結果が決まっていると考え、しかも自分は救われる側だと信じ切っているというのが、この長老派教会の特徴なのだそうだ。その結果、いかなる手段をとっても規則を曲げても、最後の勝利が決まっていると考える。
この記事をお読みの方の中には実際にこうした派の方もおいでになるかもしれない。あまり気持ちのいいことではないかもしれないが、自分はこれは実は大きな問題なのだろうと思う。
まず、これ、プロテスタントさんですよね。聖書のみ、という前提です。ということは予定説には聖書の起源があるということになるでしょう。実際にはロマ書8章とかエフェソ1章などが挙げられているらしい。彼ら曰く、我々が救われたのは御子の犠牲によるもので、我々の努力によるものではない。我々が選ぶ選びによって神が救いを決めるのであれば、神の決定権が我々の決定権より低くなってしまう、と彼らは考えるらしい。
ただ、いろいろ見ていると、この人たちが福音書を検討した痕跡はない。ここは不思議なところだ。
いくらでも例はあげられるのだけれど、たとえばこれです。
主はトマスが自分は復活を信じないと言っているのを知り、わざわざトマスの前に復活の姿を現して「信じないものではなくて信じる者になりなさい」と言っている。トマスに選択を迫ったわけだ。信じる者になれよ。見てもいい。構わないから遠慮しないで俺の傷跡に手を入れてみろ。それでトマスは信じたわけだが、当然ここでトマスが信じたことによって結果が変わったと普通は考えるだろう?それ、決まってるのなら、主はトマスに信じなさいと言わなくてもいいじゃないか。
もう一つ思ったのは、こういう説は、キリスト教の権威が確立したはるか後でしか言うことができない説だということです。12人ほどで始まった教団。ま、新興宗教です。当時ユダヤ教は大きな力があり、他の宗教も様々な勢力を持っていた。東にはゾロアスター教、西にはミトラ教、エジプトはエジプトで巨大な宗教文化を誇っていた。
その中で、「キリストが来たけど、あなたがが救われるかどうかはあらかじめ決まっていますから、あなた方の選択は関係ありませんよ」という宗教が世界に広まるだろうか?
多分無理だ。
カルヴァンの時代には法王の絶対的な権力で、王様さえ法王には逆らえないほどキリスト教の権威は強かった。だからこそ、「法王は関係ないんだ。あらかじめ決まっているんだよ」という説を唱えることができたに違いない。
しかし、当初はそんなことがあるはずがない。「キリストを信じなさい。信じれば救われます。・・・つまり救われるかどうかは、あなたが信じるかどうか、あなたの決断、あなたの行為、あなたの選択にかかっていますよ」と言わなければ、聞いている人は魅力を感じなかったはずだ。
現に福音書では、自分は救われないとあきらめているような取税人やら漁師やらが、「俺たちも救われるんだ」と希望が持てる内容になっている。
そこまで考えて、はたと気が付いた。(続く)