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スペイン戦 (2)

実際には、そんな悠長な状況じゃないんだけど、それでも「あれでいいんだ」という思いはあります。それか、普通の世界で「止まる」ように夢の中でも「止まる」、普通の世界で「意図する」ように、あの世界で「意図すれ」ばいい思ったりします。

だけど、それはある意味微妙な状況だった。スペインに対して日本が勝つかもしれない。誰もが期待していること、大っぴらにしても問題ないこと、しかし、ありそうもないこと。そして、それを言っても誰もとがめだてしない早朝だった。

 

そこで、だ。

もし、普通に人が「預言」、あるいは「見る」としたら、どうか。

エリセイが「明日、サマリヤ門で小麦1セアが1シケルで、大麦2セアが1シケルで売られるようになる。お前はそれを見るだろうが自分で食べることはなかろう」と預言した。そうなった!小麦と大麦は暴落し、エリセイにそれを聞いた副官は暴落した小麦に殺到する人々の下敷きになった。

しかし、エリセイがその予言をした時点で、それはあり得ないことに思えた。

あなたがそこに立っていたとしてごらんなさい。あなたの頭の中には、小麦1セアが1シケルで売られるという事実が「見え」ているかもしれない。
が、それ、あなたの妄想ちゃう?ありえないじゃないですか。

それでも、あなたは理性的な結論に先立って、あなたの中に「見える」小麦1セアを1シケルを優先して人々に言わなければならない。外せば、あなた、ボロカスに言われますよ。でも言わないといけない。

 

つまり、多分「見る」「預言」の結果というのは、理性には相容れないものであるわけだ。あなたはその結果を認めるわけにはいかない。

 

ある意味、信仰とは何か、見るような気がします。信じてると、多分それは楽だよね。

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