この間の高血圧の件で書いたのだが、10年後20年後のことについて、確かなことを言いにくい。医者はそういうことをいう数少ない存在ではある。しかし、誰に言われたとしても、3年より先のことについて「こうなりますよ」と言われても、聞いている側としてはそれが確かなことかどうかはわからない。
放射性セシウムがばらまかれた。極めて微量だが、ずっと放射線を出し続ける。それをかぶったお米を食べたとして、20年後どうなるか。わからないのだ。
遺伝子組み換え野菜もそう。降圧剤もそう。
たとえ、大きな成人病にかかって、あなたの命は3年です、10年ですと言われるケースがあったとしても、それ以前に交通事故で亡くなる可能性だって否定できないのだ。
本当は、普通なら、何もわからないと思う。
デルコンピュータの社長さんの書いた本があって、英文名はDirect from Dellだったと思うが、その創立期、半年ごとに事務所の床面積が倍になるというのだ。また、マーリン・エラー氏が書いたマイクロソフトの発展期の記録がある。ウィンドウズの勝利に向けて開発を続けている最中に、突如インターネットの波が襲ってきて、会社中が大きな転換を迫られる。彼自身、マイクロソフトの中では誰でも3年後をターゲットにおいて話をしていたと言っている。開発に必要な時間と未来の変化において、3年後というのはどうとでもいえる未来だった。
10年後、20年後の話は普通はしてもあまり意味がないのだ。
人が占星術に惹かれるのはまさにこの点だと思う。ある瞬間に、これが起こるはず、というデータを見て、そのデータが実は20年前でもわかっていたデータだとわかる。ああ、自分はこうなる運命だったのだ、と思って驚愕するのである。
ここまでは誰でも一緒だと思う。ここで、何もかも決まっているのだと絶望したりすることは不要なことだ。また、私自身はそういうことを知らない人に対して、「どうだ、すごいだろう」などというつもりはない。自分でもわからないことだらけだ。ただ、そういう何かが存在している。で、あれこれ疑念に思う前に、あなたもそれを見てみるべきだと思う。結論は後でいいと思う。