この記事を書いて、いろいろなことを思った。
自分としては、健康問題について疑念がわいた時に、常識で考えるとどうだろう、というのは常に考えるようにしている。
1.歴史的にはどうだろうか。
2.民族的にどうだろうか。
3.伝統的な生活で取り入れられたものには何か意味がある。
たとえば、美白で有名な鈴木その子さんが、ごはん中心の食事を徹底的に勧めている。それを見て一時期なるほどと思った。だが、徐々に疑念がわいてきた。ではヨーロッパ人があれだけチーズなどを食べているのはなぜか、アメリカ原住民、イヌイット、いわゆるエスキモーがアザラシを取って食っているのはどうなるのか、ということだった。
テレビなんかでEPAをこれだけ取らないといけないということで健康食品を勧めている。しかし、現実問題それだけの魚を人間が食べることができないのに、人工的にその成分だけ取ることはどうなのか?
カロリー計算をする。だけど、たとえばブルーベリーに入っているアントシアニンみたいなものが、摂取すればよいとわかっていても手に入らなかったとする。そうすると、アントシアニンが少しだけ入っているブドウのような食材を食べて効果を得ようとすれば、当然カロリー過多になるはずだ。他の栄養素もそうで、身体に必要なものを取ろうとすれば昔の人は世界各国から食材を取り寄せるなどということはできなかったはずなので、その分いろいろなものを沢山食べる必要があったはずだと思うのだ。
一方で、自分がこれがいいのではないか、と思うことを他人に勧めるときに、その人の人生まで保障することはできない。
以前、私は近しい人をがんで亡くしたことがある。その人の家族は、その人のためにあらゆることをしてあげる覚悟があって、私も協力した。その人は、私と同様医者を完全には信用しておらず、他の健康食品とかいろいろなものを頼りたがった。しかし、その人と親しいある方とこのことを巡って意見が対立したことがあった。がんにかかったら、最終的には医者を信用するほかないというのだ。
そこには確かに真実がある。医者が処方している抗がん剤は効くか効かないかわからない場合も確かにある。それでも、医者は患者の命に責任を持つ直接の人間であり、メソッドを持っていて、経験を持っていて、それらに基づいて最善の方法を取っているのだ。
私のような素人が、そんな薬は飲まないほうがいいとは本当は言えない。だが、それで満足していいのだろうか、とも思う。
高血圧の問題も、放射能問題と似ている。すぐには死なないのだ。低血圧でもすぐには死なない。高血圧でもすぐには死なない。降圧剤を処方してもすぐには死なない。10年後、20年後、高血圧の人が脳溢血になるかもしれない。だが、降圧剤を飲んだ人がEDになったり痴呆になったりする可能性もある。どちらのリスクが高いか、はっきりさせることはすごく難しく、利権が絡んで結論が左右されることもある。結果的に、10年後20年後のことについては、好きなことがいえるのだ。ただ、放射能と違うのは、放射能は「直ちに健康には影響ありません」と官房長官が言うけれども、高血圧については「病気です」と医者が言えるところだ。