トランプさんが「壁を作る、壁を作る」と言い出した。国境沿いに壁を作る、というと誰もがネガティブなイメージを持つ。
だけど、時々自分も「壁を作ればいいのではないか」と思うときがある。
昔の大陸の町というのは城壁で囲まれていた。自分が知っている町で、南京はたとえばそういう町である。中国人は大虐殺があったと言っているが、あの巨大な外壁に囲まれた町でそんなことが可能なのだろうか?門を制圧すれば、それほど大きな騒ぎが起きようはずがない・・・しかしとにもかくにもびっくりするほど巨大な壁がある。
ドイツのロマンチック街道に点在する町にも壁がある。観光バスを降りると、壁に作られた門をくぐって街に入る。
壁があると自由に行き来ができない。するとどうなるか。
たとえば、ある地域の小売店ではある会社のパンが独占的に売られているとする。朝食にはみなそのパンを食べる。すると、その町で別のパンの会社を興すことはとても難しい。
しかし、もしそこに壁があったらどうだろうか。大会社のパンがそのエリアの人には届かない。するとそこで新しいパンの会社を興す価値がある。多少そのパンは壁の外のパンより高いかもしれない。逆に言うとパン屋に勤める人の給料は良い。おそらくモチベーションも上がるだろうと思う。小さな会社だ。自分がある分野でトップになる機会も多いかもしれない。
世界中の人が英語をしゃべっている。すると、誰もがたとえばテレビで活躍する経済学者のトップとしてある人を推薦することになる。だが、国ごとに別の言語を喋っているとしたら、その国でその国の言語を喋る経済学者のトップがその国のテレビに出演して解説するだろう。
全部の国がボーイングとエアバスの飛行機を買っていたら、航空技術にかかわるチャンスは非常に小さいものになる。しかし、戦争時のように国が対立していたら、なんとしてもその国の中で優れた航空技術者が必要になり、失敗も含めて様々なチャンスが与えられることになる。
全世界的な共産主義というものは失敗したし、今それを目指している人もたぶん失望を味わうことになるかもしれない。しかし、壁に囲まれたあるエリアで、その町の人々が皆守りあって暮らすということは可能なのではないか。
それがマイナスに働く面もあるかもしれない。しかし、大方、町の中の人は経済的にそれほど大きなひずみができることもなく、多少高いパンを買いながらでも、非人間的な残業に追われて結婚の機会を逃すでもなく、豊かに暮らせるのでは?
時々漠然とそういうことは考えます。