落ち着きを得ること。
落ち着いているということ、自由ということは、「~しなければならない。」ということがない。他人がそのように期待しているということを気にしない。「~しなければならない」と思うということは、自分の中のどこかで、自分に対する評価を気にしている。
あなたの身内がいやなことをいう場合はどうだろうか。
あなたが子供で、たとえば母親がいて、朝庭を掃きなさいと命じるとする。寝るときに、「ああ、明日は庭をはかないといけない」と思って寝る。そのことを考えて寝る。
これはとても難しいことだと思う。
しかし、くよくよ明日のことを考えることと、実際に庭を掃くことは別のことと考えるべきである。今日は今日でくよくよしないで寝る。
いや、他人との関係においてうまく庭を掃いて、しかしくよくよは全くしないというのが、いい。
この相手は、母親なのか、友達なのか、職場の相手なのか、姑さんみたいな人か、立場によっていろいろあるだろうと思う。庭を掃くぐらいなら別にどうということもないかもしれないが、とんでもないいやな要求、悪質ないじめのようなケースもあり得るだろう。そこで取る行動も、抵抗したり、無視したり、撤退したり、誰かの助けを求めたり、いろいろありえると思う。
しかし、おかれた状況が同であったとしても、外的にはなんとか乗り切って、しかし、心の中では気にしないということができるといいと思う。
そういうと、あなたは我慢の問題、程度の問題、一生懸命やったかどうかという問題だと思うかもしれない。
だが、それは実はエネルギーの問題、感情の問題である。そういうことができる特別の意識状態、感情の状態が存在する。あるときに、気にせずにそうできている自分を発見する。
何か、私にとって重要な事が書かれている気がします・・。
早く、そういう自分を発見したいものです。
あめさん、こんにちわ。
自分でも書いているうちに文章があちこちにいくわけですが、自分としては夢のことや直感のことを書こうと思ったのです。
この文章だと人間関係のことが書いてあるように思えると思う。
人間は多くのことを知っている。大きな湖に誰もがつながっている。
しかし、そのつながりが曇ってしまって、それを知ることができない。
それを知るためには落ち着きがいる。落ち着きというのは、いわば神様が必ず私のためを考えてすべてをしてくれているというような安心の気持ちである・・・云々を考えていくと、どうもこういう方向に行っちゃうんですよね。
普通はいやな人間関係があって、そういう問題を解決したい、と考えるわけですが、その前に別の何かが必要だと思う。
>おかれた状況が同であったとしても、外的にはなんとか乗り切って、しかし、心の中では気にしないということができるといいと思う。
をするために、大きな湖とのつながりを知ろう、ってことですよね。
身の回りに起こる様々な事と、目先の小さな視点でとらえずに行く、というような感じでしょうか。
それができると、心は自由でいられますね。
ちょっとまとめて記事中で返信すべきかもしれないと思います。