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これを信じていいのか?(2)

「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がある。風が吹くと誇りが舞って目に入るので盲目の人が多くなる。盲目の人は昔は音楽を生業とするわけで、三味線を弾く。三味線を弾く人が増えると猫の皮がいるから猫が減る。猫が減るとネズミが増えて桶をかじるようになる。桶が足りなくなって桶屋が儲かる、というわけだ。

こういう原因と結果の間に、長い長い過程が入ってくると、その過程が正しいのかどうか、疑ってみる必要が出てくる。本当に風が吹くと盲目の人が増えるのか?本当に盲目の人が増えると三味線が売れるのか?だから、原因と結果の間が長くよくわからないような議論というのは、完全に信用しないほうがいい。

しかし、今我々が抱えている問題はそれだけではなく、そこに「専門家」みたいな人がたちはだかる。「政府の専門家委員会によると、風が吹くと桶屋が儲かります!」その人たちは、医師免状を持っていて、弁腰資格を持っていて、博士号を持っていて、何とか協会の会長さんを務めている。そうすると、「君たちはその難しい議論については知る必要はない。専門家委員会によると、風が吹けば桶屋が儲かるのです。」ということになって、「素人は黙って言うことを聞けばいいのだ」ということになる。

 

しかし、その考え方が成り立つためには専門家が誠実であるという前提がなければならない。

検事長が賭博を行ったが、訓告処分で懲戒はなし、点ピン程度なら問題ない・・・これは分かりにくい。「賭博はダメだ」と言ってくれた方がわかりやすい。
検事は人様が賭博をしていると、それをとがめて、処罰できる権威を持った職業だ。その人が自分で賭博をして、「過去の判例から、これこれの証拠がなくて、これこれの金額なら、一応違法ではあるが起訴するほどではなく、注意に毛が生えた程度の処分でいいのだ・・・素人は黙っていてください」という。
そこには、我々の知らない彼ら独自の「風が吹けば桶屋」があるのかもしれないが、やっぱりそれは間違いなんじゃないか。
検事長は、自分が賭博をしたことがわかったら、名誉のためにピストルで頭を撃ちぬいてくれ。
フランスやアメリカの映画では彼らはそうしてるじゃないか。彼らは自制力のなさで不正を行ってしまっても、自分の立場というものに誇りを持っている。それを汚したときに、彼らは自ら命を絶つ。江戸時代もそうだった。しかし、そういうことが今の日本のトップの人々には全くないように見える。

 

で、今回のコロナウイルスに関してもそういうことがたくさんあるような気がする。ウイルスについて、目に見えない、素人にはよくわからない相手だ。そこで、素人に対しては、わかりやすい説明がなければならない。

でも、どうも「俺たちは専門家である。俺たちは行政のトップである。だから、民衆はつべこべ言わずに我々の言うことを聞いていればいいのだ」的な態度が蔓延しているような気がするのだ。「安倍様が下々のものどもに、マスクをご用意くださいます!」
もし普通の企業担当者が、マスクを用意しろと言われて黄ばんだものや髪の毛の混ざったものを納品したら、謝罪して、粗品でも持って行って、さらに始末書を書かないといけない。安倍さんは何にもする気がないもんな。

ところが、今はWHOなら信じられるか、お医者なら信じられるか、アメリカなら信じられるかというと、どこも信用できないな気がするんですよ。

 

というわけで、結論は前の記事と同じです。あんまり信じちゃいけないんじゃないか。そして自分の判断で動くしかないんじゃないか。

これを信じていいのか?(2)」への3件のフィードバック

  1. あめ

    権威は失墜していって、個人個人の時代になっていくのでしょうか。
    自分の直観のようなものが大事になっていくような気がします。
    様々な情報を得つつ、そのどれを取るか、は自分、てことで、直観力を磨きたいな、と思います。
    ・・・どうやるのかは検索中です。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      あめさん、こんにちは。

      そうですね。
      自分の経験というもの、感覚というもの、単純なもの、素直なもの、そういうものを大事にしていかないといけないと思います。

      ますます複雑になる学問ですが、昔の中国のものが、ひょっとしたらこれからの姿に近いのかもしれない。
      漢方、暦法、占術、武術、風水などの建築や墓相学。
      誰かがその学問を大成した。そして、それはあらゆる細部に分かれていき、大枠の合意はあるなかで、ある人は植物性の油がいいと主張し、ある人は菜種油は健康によくないと主張する。そしてあるお師匠さんのもとにその流派を受け継ぐお弟子さんが集まり、その流派が大事にする原則が定められて分割していって、根幹の理屈自体は忘れられていく。Dr.コパさんみたいに、西に黄色のものを置くと金が溜まると書いて本は売れるけれど、何の理屈に基づいてそういう主張がなされたのかは、誰もわからないみたいなことになるのかもしれません。

      考えてみると占星術も多分そういうものですかね。

      返信
  2. あめ

    1年ほど前に、田口佳史「なぜ今、世界のビジネスリーダーは東洋思想を学ぶのか」という本を読みました。
    その時点でコロナ禍なんてわからなかったわけですが、時代はパラダイムシフトがおきつつあるし、東洋思想の時代が来るのでは、と書かれてました。

    内容について、当時の自分のブログをそのまま貼りますが

    今の世の中のパラダイムは変化の時を迎えている。
    西洋思想オンリーに傾いていた近代から、内側を見る東洋思想にシフトしつつある。
    世の中はサイクルで動いているが、今、経済の30〜50年の周期と、文明の150年〜200年の周期が同時発生の大転換期を迎えている。その中にあって、東洋思想がポイントになるのではないか、ということをいろんな例を挙げて書いてある本。

    「概念」というのは時代で変わるし、それにより人々の考える「価値」も変わる。今は18世紀から続く近代西洋思想が揺らぎ始めている。中世、ヨーロッパはキリスト教会の力が強すぎて理不尽な事も全て「神の思し召し」で押し切られてきた。その後、思し召しではなく、客観性がとても求められる時代になり、機械的数字論が正義みたいになっていた。
    日本は明治維新が革命だったが、その機械的数字論を輸入したようなものだったのか?だが今また「思考の源泉」が変わろうとしている。
    今は「人間的生命論」へ。命を喜ばせる事、楽しむ事で生まれるイノベーションが盛んになってくる。

    とあります。「客観性を求めることで機械的数字論が続いてきた現代」が、また東洋思想に回帰する時代を迎えるのかも?と思うとなんだかわくわくします。

    占星術は占いみたく思われてるけど(いえ、占いですけど)、現代のみんなが大好きな客観性も実はしっかりしてるので、東洋思想と融合しつつこれからもっと注目されるような気がします。

    返信

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