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人々のキリスト

例えば1万人の人がいて、みなキリストを信じている。この中には、神学を勉強した人もいるし、山に登って修行した人もいるが、大酒飲みもおり、偉い役人さんとか、粗野な技術者とか、いろいろな人がいる。

しかしそれでも、その1万人には共通のキリスト像というものがある。キリストというものはこういうものなのだ!

その中の一人が、修行したり文献を調べたり関連の土地を訪ねたり、様々な手段によってキリストの真実に近づいた。彼はいくつかの点で思った「ああ、実はこうだったのだ」

その「実はこうだったのだ」という小さなピースを寄せ集めていくと、人々が信じている最大公約数的キリストと違っているかもしれない。

 

これは、本当は一人の問題だ。つまり、私が、何か発見したときに「これがキリストなのだ」というものは、要するに1万人が「これがキリストだって決まってんだろ!」というキリストなのだ。

それ、大事か?それが重要なのか?それとも、自分が発見したそのピースを総合した新たな像が本当なのか?

 

ええっと、私はこの文章で「キリスト」という言葉を使いましたが、本当は何でもいいんです。あなたの人生で大事なものは何かということ。

それでも、その「1万人のキリスト」「1万人の仏陀」みたいなのはあって、多分それはそんなに真実ではないのではないかと思う。

たとえば、あなたは水の上が歩けるようになった。「こういうことなんだ!」信じるということがわかった。そしてピンとくるものがあった。キリストが見ていたものが、いまやリアルで具体的なものとして迫ってきた。

そのときに、その1万人のキリストは、多分キリストではなくなっていると思う。にもかかわらず、その1万人のキリストが人々のキリストであり続ける。

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