今日は仕事で大阪に来た。
大阪に来るにあたって、いろいろなことを考えた。今は教会の暦で大斎で、肉・野菜・乳製品は基本的に食べない。主は本質を重んじる方で、形式をあまり重視されず、何を食った何を食っていないと思い煩うな、と仰ったし、それほど堅苦しく考えるわけではないけれど、それでも一応守る必要がある。そうすると、ちょっと多めにお弁当のおにぎりを用意してきて、2,3食食べるほうがいい。
そして、レストランに入るということは、不特定多数の人の出入りがあるということだ。感染の恐れがある。できるだけ店に出入りしないほうがいい。
ホテルに泊まるのはどうか。自分は一応ホテルに泊まることにした・・・当たり前と言えば当たり前だが、ツテをたどって泊まる当てがないわけでもなかった。しかし、インターネットの環境などのこともある。しかしそれでもここでも、不特定多数の出入りがあり、いろいろ他の人が触るエレベーターのボタンとか、タッチパネルとか、手すりとか、いろいろある。自分は一応台所用のアルコール除菌液を持ち歩いて、エレベーターのボタンを消毒したり、触れば触ったで手を消毒することにした。
移動手段。車だ。私の車の中は、ほかの人が触らない。密閉空間だが、ほかの人が入らなければ感染はない。
考えてみると、田舎では何がなくても生活が完結している。お米は蓄えてある。野菜は取りに行けばある。移動は車で、住宅の間取りは広く、庭があって、隣は遠い。暇ということはない・・・何もすることがないということはない。暇なら、草の一つも刈ってくれ。電気が止まれば、炭のこたつで暖を取り、水は井戸水で何とかなる。学校が休みになっても、子供が遊ぶ場所だってまあまあある。
都会は、移動は電車で、食事は外食するか、食材をスーパーで買うか。なんとなく過ごせる空間はない・・・駅の待合室まで取り潰して、みんなお店にしてしまったので、金がなくてもなんとなくいられる場所はない。
思った通りのニュースが流れている。子どもが道路で遊んでやかましいとか危険だとかいうことで問題になっているらしい。いやいや、道路は子供が遊ぶところだったのだ。子どもが遊んだり、農民が野菜を運んだりしていたのを、整備するとか何とかで、人々が追い出したのだ。学校が休みになって、公園もダメ、図書館もダメ、観光地もダメということになれば、子供は路地で遊ぶに決まっている。
普通なら、都会はコンサートがあって、学校があって、商業ビルがあって、イベントがあって、就職先があって、あれもこれもいいなあ?という場所だ。新幹線だって東京を中心に・・・山陰を除いて・・・四方八方に伸びている。
今回の病気は、とにかく人が触れ合ってはいけないのだ。
もし仮に、50年前なら、東京でもここまでパニックにならなくて済んだかもしれない。お米ぐらいは家で炊かなければならず、何がないと言っても漬物ぐらいはあっただろう。
今回のウイルスは、都市化されたもの、分業化されて便利になったもの、そうしたものすべてを攻撃している。これを機会に、たとえば東京一極集中のようなものは見直されるべきだと思う。
世の中の仕組みの変わり時かもしれませんよね。
あめさん、こんにちわ。
こういうことをいうと、だいたい不謹慎だと言われることになるんですけど、まるで世の中のゆがみを直すために神様が仕組んだかのよう、みたいなことですよね。
それ、思います。ゆがみも進みすぎてひずみがたくさんありますものね。
変わり時なんだろうし、北海道の知事さんのように若くて柔軟な発想の若者たちがリーダーになっていく時期なのかもしれません。老人は若者に助言するくらいの立場に世の中が変わればいい。
昔の家督制度みたいに、若者がある程度の年齢になったら譲って隠居しつつアドバイスはしていく、みたいな。
(いや、昔の事なんて知りませんけどね、イメージです。)
一極集中しすぎというのが一つはあると思うんです。
江戸時代にそうして家督を譲るというのは、小さく権力が分裂していたから、それぞれの家で後継ぎを育てるというようなことが必要だったんだろうと思います。
https://twitter.com/georgebest1969/status/1238252188067078147
クルーズ船が一番注目されていた時に許可なく乗り込んだ岩田医師のツィートです
賛否はあります、しかし岩田氏のいうように東京はなぜか北海道・兵庫大阪より患者押さえ込んでいる
ように思います。なので東京だけを悪にするのはどうかと。神奈川は若干多めですが
りんねさん、こんにちわ。
すみません。東京だけを悪者にするつもりはないのですが、でもやっぱり東京なんですよ。
オリンピックだってある。あれもこれも東京なんです。