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運命・生命

先日プログレッション(年運)の日付を書き出すプログラムを作った話をした。

 

何かの形でご依頼いただいた皆さんが、一般に言われる当たるか当たらないか分からないあてずっぽうのような占いのイメージと違い、出生時間から導き出される上昇宮の推移がある程度正確に人生で起こることを予測していることに驚きを禁じえないだろうと思う。

 

しかし、同時に、そのように導き出された占星術師の判断というものは、それ以上でもそれ以下でもない。すべてが事前に決定して予定されているわけでもないし、全く好き勝手に自由に運命を変えることができるわけでもない。

 

その判断の間違いを引き起こしているのは、人間に対する理解だと思う。

 

人間は自由な意志を持って主体的に物事を決めていける存在だ、と考えたい。自分は自分なのだ。

生命は地球に偶発的に発生した複雑な構造物である。他の惑星にはない。宇宙は無機物が物理法則にしたがって運動しているだけの世界だ。意志や知性は人間だけの特権なのだ。

 

バカな。そんなことがあるはずがないじゃないか。石ころをたくさん積み上げたら、突然ゴジラになって動き出すというような発想はやめなければならない。

 

だが、要するに普通の人はそうではない世界について何も知らない。代わりになる世界について、説明が得られないのだ。人々が知っている説明は、世界は死んでおり、地球上でだけ生命体が偶発的にできあがって、人間だけが意志と知性を持ち、私は誰からも干渉されない自由な人格だ、という説明だけである。

 

しかし、そうではない世界というのは目の前の世界のことである。

「石ころを積み上げたら突然ゴジラになったりはしない」世界は目の前にある。

 

命は最初からある。それはある法則にしたがって運行されている。だからの意志であり、だからの運命である。それを直接見ることができることもある。あるいは間接的に知ることが出来る手段もある。

 

「32歳でASCと太陽がしかじかのアスペクトを形成しますから、こういう繁栄や後退がもたらされるでしょう。」それは当たってその通りなのだけれど、別に信じる必要もないし、決まったものとしてあきらめるようなものでもない。

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