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食の格差

食の格差についてはいろいろ言われていて、貧困層ほど炭水化物に偏る、野菜が取れないなどと言われている。が、それとは今日は違う話です。

我が家は、貧困層に入ると思う。大抵この辺の所帯は全国規模で見れば、みんな貧民になる。
しかし、食卓は限りなく贅沢なのです。

 

畑にタケノコが生えてきてたまらないと母は言う。自分はあんまり畑には関わっていない。いまやっと、なんとかかんとか田んぼはしているけど。それで、生えてくるタケノコを鍬で切っては・・・外で火を焚いて鍋で皮ごと煮るのです。自分は特にタケノコが好きだというわけでもないけど、これほどおいしいたけのこはそうそう食べられませんよ。皮をむいてぬかで煮れば柔らかくなってアクは取れるが、味も逃げる。タケノコが丸ごとゆでられるためには、巨大な鍋と強い火力がいる。でも、廃材や要らなくなった竹を焚く分なら費用は要らない。ただ、手間はかかりますよ。

ブロッコリーは真ん中の花は商品として出荷できるのだろうが、うちは出荷はしないので、真ん中の花を摘むと、その下から四方八方に花が出る。これはこれでおいしいのだけれど、多分格好悪いから店には出回らないのです。

前にも書いたかもしれないが、近所でホウレン草などを作っている農家さんがある。このホウレンソウが育ちすぎて、袋の大きさより長くなってしまうと、これは商品としては出荷できないので、我が家でおすそ分けをもらう。

 

こうした農家だからこその食品以外でも、田舎はいろいろ食材が豊富なのです。

 

たとえば豆腐も、京都や大阪でなかなかおいしい豆腐というのには出会わなかった。南禅寺に卸す豆腐屋さんというのが岡崎にあったのだけれど、そこもびっくりするほどおいしい、というほどでもなかった。しかし、この辺にはおいしい豆腐がある。

魚もそうです。この辺には魚があるんです。自分が関西に暮らしていて、サバが3本ずつ買えるところなんてそうそうない。

結果的に都会のかなりの収入のある人々と比べても、とんでもなく豊かな食事を私たちはしていると思うのです。

 

多分、こういうことなのだと思う。農産品というのは、いろいろ政策的に値段が安く抑えられている。輸入食品との競争ということもそうだし、安定供給ということもそうだ。

もし出荷すればいくらでも高く売れて、儲かって儲かって仕方がない、ということになれば、農家も自分の食べる分を削ってでも農産品を出荷するだろう。そのブロッコリーの側に出てくる小さい花だって、自分が食べずにどんどん市場に流すだろう。
しかし、それは売れないのです。言って悪いけど、農業は一部の農家を除けばやればやるほど赤字ですよ。

 

でも、そうやって作った分は出荷しなかったとしても、あるにはあるんだから食べるほうがいいに決まっている。残って肥料になる分もあるかもしれないが、生産者としてはもったいないんだから、ご近所で分けたりすることになる。

その結果、多分田舎は限りなく食卓が豊かになっているのだと思う。計算上は貧乏なんだけど、それは決算書には上がってこないわけ。

 

これは、社会かシステムの問題だと思うな。

農業の問題にしても、今の風潮だと、要するに商品価値をあげろ、高く売れ、というわけです。傷のついていない、めちゃめちゃ糖度の高い、他とは違った一品。同じ野菜、同じコメ、同じタケノコでも数倍の価格が付くようにしろ!でも逆に考えると、消費者の側で500円と100円で、ちょっと傷があるかないかの違いなら、100円のやつを買うよ。同じビタミンが取れるなら100円で何が悪い?
この高価格商品路線にも、何か嘘があるような気がするだけどなあ。

ただ、逆に言うと、まじめにやってりゃ、それなりの実入りはあるってことかもしれない。収支計算には出てなくても、健康にはやれるわけだから。

食の格差」への7件のフィードバック

  1. りんね

    管理人さんみたいに自分のお宅で自給自足に近い生活もしながら
    別に生計も立てられるって人は、今も限られると思いますし
    これからはもっと限られると思われます。
    仕事先で半額になった商品を買い求める大挙の群れみたいなのを見るにつけ、
    リフレにも到底達してないって思いますし
    だからといって米を輸出すればいいと一時期なりましたが、
    お米はすぐ腐りやすくて輸出は難しい
    アメリカ・中国で日本米の栽培に取り組んでまだ日本ほど達してませんが
    年々技術が向上して何年か後には追いつくといわれています

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      りんねさん、こんにちわ。

      どの辺に力点があるコメントなのか、計りかねていますが、多分見ているものが私と違うと思います。
      ここにはここの現実があります。
      外国から安いコメが入ってきたとしても、全部の田畑を荒らしてしまう、ということには多分なりません。
      大きな傾向として、集落がなくなっていくということがあったとしても、一定数の人が「ここなら食えるじゃん」ということになると思うからです。

      返信
  2. りんね

    自分はTPPのことを言っていたわけではないのですが..
    言葉足らずにすいません
    輸入以前に
    日本人が少なくなって日本国内だけで相手にするのは
    自然と限界になってきているけど(これからは輸出も考えないといけない
    食べたいものを自分の身の丈にあう生活で食べるのも限界になりつつあるんじゃないか
    ってことです。

    返信
  3. りんね

    食べたいものを身の丈にあう生活で食べられている管理人さんは
    とても幸せだと思います。
    ただそうでない人との差が激しいっていうか

    返信
  4. あめ

    野田知佑さんが千葉の亀山湖あたりでくらしていたときの様子を書いたエッセイで、月に2万だか3万あれば十分暮らせる、という生活ぶりを読んで憧れました。
    遠くへいったりいろんなものを買ったりする生活も楽しいしなれちゃっているけど、人間は生まれた場所で耕したり釣ったり採集したり育てたりしながら自然とともに生きていくのが正しいのかもなあ、と思ったり。みんなあるべき場所で足るを知れば戦争もないのかな、とか。

    あとアメリカで読みつづられているという児童書
    「ぼくだけの山の家」ジーン・クレイグヘッド・ジョージ作/茅野美ど里 訳
    大家族のせせこましい生活に飽き飽きした少年が自力でしばらく生活し続けるお話です。
    これを読んだときも心底うらやましい、と思いました。

    食べたいものも、しらなきゃ食べたくないわけで、その土地のものを日々食べて満足できる生物になれればいいのにな、みんなが。と、まあ妄想ですね^^;
    実際そうなれば飢饉で死者が出ちゃったりしますもんね。

    論点ずれてますが、記事とりんねさんのコメント読んでふと思いついたことを書いてしましました。

    返信
  5. simpledirect 投稿作成者

    みなさん、コメントありがとうございます。

    ざっと言ってそうなんです。だからやっぱりそういう差があるってことだと思います。

    返信

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