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江戸時代というフィルター

大河ドラマで黒田官兵衛の生涯が放映されているが、それに先立って正月前後にやたら黒田官兵衛にちなんだ番組が作られた。その中で、歴史クイズ番組みたいなのがあって、いま軍師と言われているけれども、当時の呼び方で軍配者である官兵衛は何かの実用的な職業に近いが、それは何か、みたいな四択問題があった。答えは占い師だったわけだが、NHKもそれ以上所謂「占い」の内容に突っ込むことはできない。

 

でも、今自分が生きていて、何らかの占術を使う立場の人は、違う目線で見ることができると思うのだ。

 

江戸時代には、すべて勝敗が決した。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかという世の中は終わって、誇りや名誉を大事にしながら無事に仕官して安泰に役人として暮らすことが武士の生き方になった。

しかし、当然のこととして、戦国時代に暮らしていた人はそうではなかったはずだ。今なら家康にしても権謀術数にたけたタヌキおやじが着々と天下を取ったみたいにイメージするのが当たり前かもしれない。しかし、その中で生きている本人にとっては、どこかの時点で誰かに負けて滅んでしまうかもしれないとずっと思っていただろう。

その点は、私たちは天下人ではないけれども、共通の部分がある。明日どうなるか、勝つのか負けるのか、わからずに毎日を過ごしているのだ。

その中で、たとえばホラリーならホラリーを見て、最終的な結果はこうなるだろうというのが予測できるということはとても頼りになることではないか。AとBの問い合わせがあって、どちらも大きな魅力のある話だった。しかし、片方はうまく行かないだろうとか、延期するだろうとか事前に分かったとしたら、それはとても心強いことではないか?

 

そういう視点で軍師というものを見ると、所謂「占い」と言われているものの果たした役割の大きさがイメージできる。ある場所で何千人、何万人という兵隊を、東に出すのか西に出すのか、ひっこめるのか、判断を間違えば自分も死ぬかもしれないし、それ以上に何千何万の人を失うことになるかもしれない。その際、兵糧は間に合うのか。援軍は来るのか。伏せ勢がいないか。

電話もテレビも天気予報もない時代だ。いや、仮にあったとしてもだ。そうした外面的なすべての情報を集めて考えたとしても、最終的な判断で予期しない結果が起こることはあり得ると思う。周囲から入ってくる情報では、相手は3万の大軍で鉄砲の戦になると思っていても、突然雨が降るかもしれないし、3万のうち中心の千人だけなんとかすれば総崩れになるかもしれない。

 

そして現実に軍配に十二支や八卦の図柄の書かれたものがあるということは、多分その時代にはその時代の独特の知識・独特の共通認識のようなものがあったと思う。「あちらにも軍師がいるのだから、申の刻に軍勢をこちらに出してくることはない」というような判断があっただろうと思うのだ。

しかし、そういう判断は江戸時代には不要なものになった。江戸時代には英雄譚のようなものだけが残って、すごくきれいな戦国時代を見ているのかもしれない。もっとも、今日書いたことは勝手な想像にすぎません。すみません。でも多分あると思う。

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