「花子とアン」が好調だ。この村岡花子という人は「フランダースの犬」を訳したことでも知られている。フランダースはベルギーなのだけれど、この物語を書いたのは英国人だ。
少し前の話になるのだが、確かベルギー政府観光局のパンフレットか何かに書いてあった情報だ。なんでもフランダースの犬のように、主人公が努力の末無念の死を遂げてしまうというのは、西洋人にはあまり評判がよくないらしい。今でこそ日本のアニメでも知られ、海外でもそういう番組が作られているものの、当のフランダースの人たちはこの作品のことを全く知らなかったそうだ。ところが日本には赤穂浪士みたいに本懐を遂げて切腹みたいな話はあるわけです。
ベルギーを訪れる日本人が、アントワープの大聖堂の前で涙を流しているのを多くの人が目撃した。現地の人たちは驚いた。あの無表情な日本人が一体何に泣いているのか。そして調べてみるとこのフランダースの犬という小説の存在に初めて気が付いた、というわけだ。
アナと雪の女王でも、ちょっと失望したのだけれど、私自身はディズニーがあまり好きではない。
アラジンにしてもピノキオにしても、元の話といろいろ違っているのだ。
子供はまず原作に触れよう。散々原作が読めたら、ディズニーも見たらよかろう。そうしたら「えっ、これ違うじゃないか」と思うに決まっている。
しかし、そうであるにもかかわらず、ディズニーは私からすると異常なほど人気があるのです。なぜだ?
その理由を考えてみた時に、実はこれほど外国の文学が自国向けに訳されて浸透している国は少ないのではないかと思い至った。
考えてみると、私は小さいころ、グリム・アンデルセン・ペロー・クオレ・ピノキオ・トルストイといった童話や少年向けの話というのは大方読んでいる。そうした話は、多分ほとんど戦前から日本に訳書があった。戦前の世界地図では、アジアの独立国はタイと日本だけ、あとはイギリス・フランス・オランダ・アメリカなどの植民地だった。ロシア・ドイツ・イタリアなども含めて、ほとんどの欧米の国の書物が自国語で読める国は多分多くなかったのだ。
戦後もそうした流れは続いて、高度成長時代には街々を回って児童向けの文学全集を売り歩くセールスマンがいた。今で考えると、押し売りだと思って断る人が多いのかもしれないけれども、おそらく当時の親たちは、自分たちが戦争中で本が読めなかった分、子供に読ませてやりたいと購入した人が多かったと思う。
そして、多分アメリカ人自身も、原書をちゃんと読んでそれがいいと考えるような境遇にいる人はごく少ないのではないか。多くの人がディズニーの話を最初に受け入れてしまうのではないだろうか。
先人たちの努力によって、今の私たちがある。おそらく当時の人々は、アジア各国が植民地支配に怯える状況の中で、英国・米国だけではなく、フランス、ドイツ、ロシアといった国の言葉を積極的に勉強し、何とか先進国に追い付こうと努力したのだろう。私も見習わなければ。
私もディズニーそのものはあまり好きじゃないです。仰る通り捏造?が多いし。確かに、原作知らなきゃ何とも思わないのかも知れませんね。
我が家でも、幼い頃から、本は好きなだけ与えてもらいましたし、図書館やお寺での本の貸し出しも利用してたので、様々なお話を自然に知ってます。が、息子は童話なんて殆ど知らないかも、と今気づいて愕然としました。なんとかしなきゃ。
あと、いまは、ごく幼い子供向けの童話民話は残酷な表現はカットしたり内容変えたりしてあるんですが、これはどうかと思います。
あめさん、こんにちわ。
出版業界も儲けないといけないし、周囲からの批判にもこたえなければならない。
子供を取り巻く環境も変わってきている。とても難しい問題だとは思います。
アナ雪の主人公たちは、洋服の裾までリアルにCGでできているのに、眼だけは不自然に大きい。でも出版業界のことを考えると、顔はステレオタイプなディズニーキャラクターにしておく必要があったのだろうと思います。そういう意味ではディズニーは儲け方が出来上がっているのだろうと思う。
数年前のハリポタのヒットは、児童文学としては異例のものだったというのもわかるような気がします。
残酷な内容の変更、どうでしょうかね。代表的なものは白雪姫の焼けた鉄の靴と、猿蟹合戦の蟹の死でしょうか。
西洋では魔女というものについて、あまりにも残酷な歴史があるために、その拷問が行われたということを言ってしまうと子供に説明するのは難しいかもしれないとは思います。