googleの検索エンジンでは、その検索結果の最適化をコンピュータに任せていて、コンピュータは最適な結果を探している。その結果、何らかの理由でコンピュータがその結果を選んでいるのに、人間の側ではなぜその結果が選ばれているのかわからない、ということが起きているらしい。
今、藤井棋聖が最年少で二冠を達成したということでニュースが出ているが、将棋の指し手もAIが最適な手を計算するらしく、一般の他のプロ棋士がまず選ばないであろうという手をAIが選び、そしてそれと全く同じ手を藤井二冠が選んでいたということが話題になっている。プロキシを含めて、他の人はなぜコンピュータがその手を選んでいるのか全く分からない、説明がつかない、というわけだ。
最近、世の中全体がそういう傾向があるように思う。
正解というものは、多くの人の共通認識になっているからこそ、正解なのである。テレビのクイズ番組で、高学歴のタレントさんや現役東大生が、難しい漢字の読み方だとか、本の作者だとか、よくそんなことまで知ってるねえ、というようなことを当てる。しかし、それにしても、ちょっと調べれば誰でもその正解があることを知っていて、それが共通認識として広まっているからこそクイズ番組が成り立つのだ。
しかし、共通認識のない問題ではそうはいかない。
たとえば霊現象なんかはそうですよね。ある人はあると分かっていると思う。だが疑う人はどこまでも疑っている。数字は割とはっきりしている。にも拘らず、これが正解だ、ということにはならない。占星術もそうですよね。
コロナウイルスの問題もそうだと思う。ある人は、大したことはないのだという。ある人はすごく大変な疫病なのだという。ある人は警戒しろと言い、ある人はそんなに規制しなくてもいいという。
もし、仮に、仮にですよ。ここでコンピュータ、AIがコロナウイルスにかかる人とかからない人との行動を解析したとする。Googleの検索エンジンのように、大量のデータを自動処理してその結果を出したとする。たとえば、その結果が
「みそ汁を毎日食べている人は、コロナウイルスにかからない」
というものだったとしよう。
安倍首相は明日記者会見をして「みそ汁を食べましょう」と言えるだろうか。
恐らくそれは実証されていないということになるだろう。
多分AIが出した結論は正しい。だが、なぜそうなるのかは人間が説明できない。疫学的、化学的な結論も出すことは出来ない。医者はいうだろう「今、そんなことを発表するのは時期尚早です!」
だが、それが将棋なら、多分「みそ汁を食べる」という選択をとった棋士は勝てる。
で、今からの世の中というものは、恐らくそういう「正解のない世の中」になっていくのだろうと思う。自分が自分の中に基準を作る。そういうことが必要になるのだろう。